戦国時代の日本人奴隷は畜生道なのか?

戦国時代の日本人奴隷は畜生道なのか?

コンタクトマンのミツシュウラです

 

昨夜、戦国時代の日本人奴隷の記事を読みました。

 

「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断

(一部抜粋引用)

「日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」

何とも酷たらしい場面だが、当時の海外に出た西欧の商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引だった。これはそもそも、1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよいという許可を与えたことが根底にあるという。

この記事を読んで、思いました。

 

畜生道やないかーい!

てか、イスラム教徒かよ!

 

 

畜生道とは?

畜生道(畜生界)に生まれるとどんな生きざまになるかというと、見ての通り、強い生き物が、弱い生き物を食べる弱肉強食の世界です。
畜生は、獣でも、鳥でも、魚でも、虫でも、常に自分より弱い、食べ物にする生き物を探し、自分が餓死する前に、他の生き物を食い殺さなければなりません。

馬や牛、豚などに生まれると、鼻に穴をあけられてつながれたり、顔や背中に馬具をつけられて重い物を乗せられたり引かされたり、ムチで打たれて一生涯タダ働きさせられます。

そのあげく、ある日、鉄で脳を打ち割られて屠殺され、出荷されて食われることもあります。

 

戦国時代、世界中で奴隷貿易が行われており、日本にも宣教師が九州にやってきて、国際奴隷売買を始めました。

すでに国内では戦国武将の対立が行われ、勝者は敗者を奴隷にして売買していたようです

国際貿易に発展した理由は、薩摩藩が豊後の大友宗麟を打ち破った際に、敗者を奴隷として売買し、長崎を経由して海外に売られて行ったのが始まりとのこと。

 

そもそもあったんかーい!

 

筆者がなぜこれを取り上げるかというと、近年起こっているイスラム系移民と異教徒への残忍な行為が、そっくりだと思ったからです。

スペイン・ポルトガルのキリスト教徒 → イスラム教徒

国際奴隷売買 → 移民難民問題・臓器・人身売買

 

日本国内に入っているイスラム教徒やクルド人問題も、戦国時代の宗教と奴隷の関係に瓜二つですよ。

もし日本で戦争でも始まったら、国民は難民化し、奴隷になってしまうのではないかしら

(奴隷=低賃金のワーカー)

 

豊臣秀吉と徳川家康は、キリスト教が国内に入らないように厳しく弾圧することで、国難を排除しました。

(奇しくも、江戸時代、日本は仏教国となった。)

しかし、D Sの手下になった今の日本では、そんなことができるのでしょうか?

 

 

そもそも、この問題は、六道により起こっていると言えそうですから。

正道に戻ることでしか、解決法はない気がしますね。

 

法華経を読んでみるか(笑)

いや、もっといい方法があるさ

宇宙の友と仲良くすればいいよ♪

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

ミツシュウラでした

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です