修羅の心と菩薩の心は合わないないので、互いに協力し合うことはできません。

修羅の心と菩薩の心は合わないないので、互いに協力し合うことはできません。

コンタクトマンのミツシュウラです

 

三木大雲さんの六道解説、秀逸です

六道の意識の段階をわかりやすく説明していますね。

 

筆者の子供の頃からの謎を見事に解き明かしてくれました。

どうしてそう思えるのか? ずっと謎だったんです。(前もブログに書きましたね)

 

例えば、「人を助けることはできない。それはエゴである」とある人が言いました。

筆者は、どうしてそんな悪意が頭に思い浮かぶのか? 頭、大丈夫か?と謎に思っていました。

(ポカーン???)

 

しかし、六道がわかると「人を救うことなどできない。それはエゴである」と思う人は

「困っている人を、助けてあげたい」という菩薩の心が生じていないことがわかります。

 

人助け(菩薩の心)がエゴのように思えるのは、悪意があるので、修羅の意識だと思います

こう考えると、なぜそんな悪意が頭に浮かぶのかもわかります。

人は、考えさえも、天に決められている。

これが仏教の言うところの、です。

 

 

修羅の心と菩薩の心は合わないないので、互いに協力し合うことはできません

菩薩は修羅になれませんから、修羅が菩薩になるしかないのであります。

 

このことを、日蓮さんはわかりやすく表現しています。

異体同心なれば、万事を成じ 同体異心なれば、諸事叶うことなし

 

同心、異心というのは、六道のことだと思います。

 

菩薩の心を持った集団が集まると、人を助けたい一念で頑張ります

しかし、修羅が集まると(あいつが悪い、あいつを倒せ!)となり、助けること自体が無になります。

 

(貴様が悪いんじゃーーー!)

 

要は、同じ心の人が集まることが、大事なのです。

 

我が身を振り返ると、催眠療法(QHHT)は、菩薩道の修行でした。

人を助けるための方法を模索し、ひたすら実践していたからです。

菩薩道は仏を求めての求道と学んだことを人に与える利他行為です。

 

しかし誹謗中傷も多かったし、理解してもらえない部分もありました。

いつかわかってもらえると思いながら続けていましたが

気づけば、仏様(コリンさん)から引きあげられていました。

 

菩薩行がなかったら、今の自分はないでしょうし

なぜ悟り(42位の境地)を得られたのか?

それは、なるべくしてなったからと思います。

 

友の会を運営できるのは、迷いがないからです。

筆者がコンタクトマンと名乗れるのも、迷いがないからです

迷いがあったら、人を導くことなど、絶対にできません。

 

しかし、筆者が、(まだ入り口にも立っていない)と言い続けるのは

仏になってないからです(笑)

 

みなさん、覚えていますか?

神通力が使えるようにならないと、不安は解消されないと言いました

人間である限り、一生不安はつきまとうのです。

 

法華経にはっきりと書かれています。

仏になると神通力が使え、不安や悩みが消えると。

本当の心の平安が不動のものになる。

つまり、コンタクトマン(成仏)が悟りなのです。

 

筆者はまだ仏には入っていませんが、近づいています(笑)

仏にリーチする過程を伝えることも、救済であり正道なのです。

 

すでに娑婆の世界への後戻りはない段階にはきています(笑)

 

 

みんなについてこいよ!って言えるように頑張るさ!(笑)

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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