八大竜王の正体と卑弥呼のいた場所

八大竜王の正体と卑弥呼のいた場所

コンタクトマンのミツシュウラです

 

ただいま手がけている動画の調査で

こんなものを見つけていた。

 

左の遺物は、八匹の龍。

呉越地区の遺跡から出てきたもの。

 

これは、動画でも紹介したもの。

これも呉越地区から出た遺物。

(龍の刺青をした倭人)

 

周の太伯の子孫では龍神信仰だったそうだ。

水路を船で駆け巡り、魚をとっていた流れで

水神(蛇)を侵攻していたそうだ。

 

体に刺青を入れた理由は、水に潜って魚をとるときに

攻撃されないため。

 

そんな中で、八匹の龍の遺物が出ている。

 

呉国人は、菊池郡に移住した後に

阿蘇や宮崎を開拓したというが

その流れで、幣立神宮を作ったという。

(健磐龍命)

 

幣立神宮には八大竜王のお社があるのだが

呉越人の信仰なのではないだろうか。

 

(菊池郡には八匹の亀が湖にいたという信仰もある)

 

さて、ここからが本題。

 

邪馬台国のどこか説に光を当てたい。

上記の動画は、福岡県の赤村にある大きな古墳が卑弥呼のものではないかという。

これを見て、ふっと思いついたので、紹介したい。

 

邪馬台国が発見されていない理由は、九州だと水行が合わないから。

 

下記の写真は、筑紫野市の五郎丸古墳。

昨年末、見に行ったのだが、現地に行って思った。

平地なのになんで船?

 

しかし、現地に行ったからわかったのが

近くに水路があるんですよ。

しかも、博多湾につながる水路が。

この水路は、筑後川に繋がっている。

 

つまり、筑紫野市、朝倉市まで水路があって

古代人たちは船で行き来していたらしい。

 

五郎丸古墳に限らず、他の装飾古墳にも船が描かれている。

ということは、筑後川などの水路を船が行き来していたのだ。

 

 

さて、呉人は、阿蘇や宮崎を開拓した後に

筑後国の夜須郡に移住して、松野連になったという。

 

水路を開拓する名人の呉人たちだからこそ

水路を作ったに違いないと思った。

だとしたら、水路があるのではないのか。

 

調べてみたら、夜須郡は、五郎丸古墳に近く筑後川もある。

その延長に、先の動画の赤村もある。

 

 

つまり、古代は呉人が水路を作って移動していたのではないか。

邪馬台国の水行は、呉人の作った水路を移動していたのではないだろうか。

博多湾から人工水路を通ったとしたら。。。

ちょうど、朝倉の先で筑後川に到達する。

 

つまり、邪馬台国は、呉人の松野連の作った居住地国

あったのではないか。その近辺ではないのか。

水行がそれを示しているのでは?

 

そもそも、倭人の定義は、呉人とそっくりだ。

 

だとすると、邪馬台国は、松野連の居住地の周辺だったに違いない。

もちろん水の交通の良い場所に違いない。

何なら人工水路ではないだろうか。

 

こうなると、邪馬台国は、九州で間違いない。

 

あとは、色々と調べたら出てくるだろう。

 

 

卑弥呼さん、待ってろよ!

 

ミツシュウラでした♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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