八大竜王の東征と邪馬台国のあった場所
コンタクトマンのミツシュウラです
八大竜王の続編。
高千穂にも八大竜王が祀られています。
https://www.hachiryu.jp/
この神社は(当時)知る人ぞ知る場所なのですが
二十年以上前に、現地の人から聞いた場所です。
(今はメジャーかな?)
さらに、日向市の大御神社
https://oomijinja.com/history.html
こちらも龍を祀っていると書かれています
先の幣立神宮も、高千穂神社、大御神社も、健磐龍命が遷移した場所
以下、WIKIより引用抜粋 ====
健磐龍命は神武天皇即位前14年に神八井耳命の第5子として誕生した。
神武天皇76年に神武天皇(初代天皇)は孫である健磐龍命に西海鎮撫の命を下し、火の国に封じた。健磐龍命はこの年の2月に山城国宇治の郷から阿蘇に下向した。この途中、宮崎において神武天皇の宮跡にその神霊を祀ったのが宮崎神宮の創祀とされる[4]。そこから延岡にうつり、そこから五ヶ瀬川をさかのぼり御嶽山の麓(御岳村)にしばらく留まり、成君・逆椿・村雨坂などを回った[19]。そして御岳から馬見原に入り、幣立宮を建てて天つ神・国つ神を祭った[19]。そこから草壁にうつり、阿蘇都姫(前述)をめとり阿蘇都彦と号した。そこから阿蘇にうつった。
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このあたりは地元なので、結構、回ってますW
八匹の龍を祀っているのは、呉越信仰由来でしょう。
呉人たちは、最終的に筑紫国の夜須郡に移住するわけですが
その近くを探していたら、興味深い神社を見つけました。
(大己貴神社)
その由緒の始まりは、第14代仲哀天皇9年(西暦200年頃)
太刀や矛を奉納した。
地名の相似
ちなみに、中国王朝の皇帝たちは、天と地を祀るのが仕事でしたので
地域の重要な霊山に岩を置いて祀ったり、祭壇を設けていましたので
周囲の山や聖地を見れば、天皇や祭祀をやった人物がいた場所がわかります
(だから、神社を探るのが重要)
ここは、太伯の子孫が住んでいた場所(夜須郡)の地域ですので
中国を含めた文化交流の中心地だと思われます。
この地域は重要な神社が多数あるのですが
こちらも気になります。
姫氏は周王朝の末裔の氏ですし、七夕の風習は中国由来。
さらに、端午の節句も呉越文化が由来です
機織り文化も呉越文化由来だと思います。
(稲作、製鉄、養蚕は中国由来)
邪馬台国はどこにあったのか?
おそらく筑紫や大分だろうと思いますが
手がかりは鏡と、水路、水銀だと思います。
前回紹介したこちらの動画
赤村と香春に水銀がないか調べたところ、、、
こちらのブログに赤村の地名が水銀由来とありました
さらにこちら香春神社の神社
『延喜式神名帳』では名神小社に列格され、豊前国一宮とされた古社です。
辛国息長大姫大目命、忍骨命の荒魂、豊比咩命の三柱の御神を香春岳に奉祀したのが創始とされています。
香春岳は南から一ノ岳(元491m・現在270m程)、二ノ岳(468m)、三ノ岳(511m)と並ぶ石灰岩からなる山で、元は草木の育たない石山であったとされています。
とあります。香春町には銅山もあります!
(ちなみに、延喜式は中国由来です)
三つの神と山を祀った。東海の三神山かもしれません。
水銀がないかと探したところ。。。
こちらのブログに書いてありました。
実は、卑弥呼の鏡と思われるものは、日田でも出ています
日田は筑後川で有明海から一本で水行で来られるので
邪馬台国の工程に当てはまる可能性が高いです。
また、宇佐神宮も水銀の産地として名高いです
香春町の場合は、遠賀川から水路がつながっています。
日田の場合は、筑後川。
工程的には、日田の方が合っているように思えますが
陸路を見ると、どこも比較的近いです。
水銀をとる場所と、都は別々で構わないので
卑弥呼がいた場所の中心地は、大きい船でもこれる水路があった場所
だとしたら、朝倉や日田などの筑後川流域の可能性が高いのでは。
卑弥呼さんが、近づいてきたW
ミツシュウラでした