宮澤賢治:天の世界の太陽

宮澤賢治:天の世界の太陽

コンタクトマンのミツシュウラです

 

前回のライブ配信で、太陽の話をしました。

 

私が見ている太陽は、私しか見えていないものではないか。

そういう疑問を持っているという話。

 

したらば

 

宮澤賢治さんが、インドラの網の中で、太陽について言及していました。

タイミングの神が降りてきて、教えてくれたとです。

ありがとう。タイミングの神よW

 

インドラの網から抜粋

 


インドラの綱 宮澤賢治(抜粋引用)

そのとき私は大へんひどくつかれていてたしか風と草穂くさぼとのそこたおれていたのだとおもいます。
その秋風の昏倒こんとうの中で私は私のすずいろの影法師かげぼうしにずいぶん馬鹿ばかていねいなわかれの挨拶あいさつをやっていました。
そしてただひとりくらいこけももの敷物カアペットんでツェラ高原をあるいて行きました。

そしていつか薄明は黄昏たそがれに入りかわられ、苔の花も赤ぐろく見え西の山稜さんりょうの上のそらばかりかすかに黄いろににごりました。
そのとき私ははるかのむこうにまっ白なみずうみを見たのです。

 

湖はだんだん近く光ってきました。

私はつぶやくようにまた考えるようにしながら水際みずぎわに立ちました。
(こいつは過冷却かれいきゃくの水だ。氷相当官こおりそうとうかんなのだ。)私はも一度いちどこころの中でつぶやきました。
まったく私のてのひらは水の中で青じろく燐光りんこうを出していました。

 

いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。

素敵すてききをかけられてよくみがかれた鋼鉄製こうてつせい天の野原銀河ぎんがの水は音なくながれ、鋼玉こうぎょく小砂利こじゃりも光りきしの砂も一つぶずつ数えられたのです。

私はまた足もとのすなを見ましたらその砂粒すなつぶの中にも黄いろや青や小さな火がちらちらまたたいているのでした。

おそらくはそのツェラ高原の過冷却湖畔かれいきゃくこはん天の銀河ぎんが一部いちぶと思われました。

けれどもこの時は早くも高原の夜は明けるらしかったのです。

それは空気の中に何かしらそらぞらしい硝子ガラスの分子のようなものがうかんできたのでもわかりましたが第一だいいち東の九つの小さな青い星かこまれたそらの泉水せんすいのようなものが大へん光が弱くなりそこの空は早くも鋼青こうせいから天河石てんがせきいたかわっていたことからじつにあきらかだったのです。

そのつめたい桔梗色ききょういろ底光そこびかりする空間を一人の天けているのを私は見ました。

(とうとうまぎれんだ、人の世界せかいのツェラ高原の空間から天の空間へふっとまぎれこんだのだ。)

私はむねおどらせながらう思いました。

天人てんにんはまっすぐに翔けているのでした。

天人はこんいろのひとみを大きくってまたたき一つしませんでした。そのくちびるかすかにわらいまっすぐにまっすぐにけていました。けれども少しも動かず移らずまた変りませんでした。

(ここではあらゆるのぞみがみんなきよめられている。ねがいの数はみなしずめられている。重力じゅうりょくたがいされつめたいまるめろのにおいが浮動ふどうするばかりだ。だからあの天衣てんいひもなみ立たずまた鉛直えんちょくれないのだ。)

けれどもそのとき空は天河石てんがせきからあやしい葡萄瑪瑙ぶどうめのういたかわりその天人の翔ける姿すがたをもう私は見ませんでした。

(やっぱりツェラの高原だ。ほんの一時のまぎれみなどは結局けっきょくあてにならないのだ。)う私は自分で自分におしえるようにしました。

けれどもどうもおかしいことはあの天盤のつめたいまるめろにたかおりがまだそのへんただよっているのでした。

そして私はまたちらっとさっきのあやしい天の世界せかいの空間ゆめのようにかんじたのです。

(こいつはやっぱりおかしいぞ。天の空間は私の感覚かんかくのすぐとなりにるらしい

 

みちをあるいて黄金いろの雲母うんものかけらがだんだんたくさん出て来ればだんだん花崗岩かこうがんに近づいたなと思うのだ。

きっと私はもう一度いちどこの高原で天の世界せかいを感ずることができる。)

私はひとりでう思いながらそのまま立っておりました。

みずうみ緑青ろくしょうよりももっと古びその青さは私の心臓しんぞうまでつめたくしました。

 

ふと私は私の前に三人の天の子供こどもらを見ました。

それはみなしもったようなうすものをつけすきとおるくつをはき私の前の水際みずぎわに立ってしきりに東の空をのぞみ太陽たいようのぼのをっているようでした。

 

私は天の子供らのひだのつけようからそのガンダーラ系統けいとうなのを知りました。

またそのたしかに※(「門<眞」、第3水準1-93-54)コウタン大寺の廃趾はいしから発掘はっくつされた壁画へきがの中の三人なことを知りました。

私はしずかにそっちへすすおどろかさないようにごく声ひく挨拶あいさつしました。

「お早う、于※(「門<眞」、第3水準1-93-54)大寺の壁画の中の子供さんたち。」

三人一緒いっしょにこっちをきました。その瓔珞ようらくのかがやきと黒いいかめしい瞳。

「お早う。※(「門<眞」、第3水準1-93-54)コウタン大寺の壁画の中の子供さんたち。」

「お前はだれだい。」

「私は于※(「門<眞」、第3水準1-93-54)大寺をすなの中からり出した青木晃あおきあきらというものです。」

「何しに来たんだい。」

「あなたたちと一緒いっしょお日さまをおがみたいと思ってです。」

「そうですか。もうじきです。」三人はむこうをきました。

 

瓔珞ようらくは黄やだいだいみどりはりのようなみじかい光をうすものにじのようにひるがえりました。

 そして早くもそのえ立った白金のそら、みずうみの向うのうぐいすいろの原のはてからけたようなもの、なまめかしいもの、古びた黄金、反射炉はんしゃろの中のしゅ一きれの光るものあらわれました。

天の子供らはまっすぐに立ってそっちへ合掌がっしょうしました。

 それは太陽たいようでした。

 

おごそかにそのあやしいまるい熔けたようなからだをゆすり間もなく正しく空にのぼった天の世界せかいの太陽でした。

針やたばになってそそぎそこらいちめんかちかち鳴りました。

 

天の子供こどもらは夢中むちゅうになってはねあがりまっさお寂静印じゃくじょういんの湖の岸硅砂きしけいしゃの上をかけまわりました。

そしていきなり私にぶっつかりびっくりしてびのきながら一人が空をしてさけびました。

「ごらん、そら、インドラのあみを。」

私は空を見ました。

 

いまはすっかり青ぞらにかわったその天頂てんちょうから四方の青白い天末てんまつまでいちめんはられたインドラのスペクトルせいの網、その繊維せんい蜘蛛くものより細く、その組織そしき菌糸きんしより緻密ちみつに、透明とうめい清澄せいちょう黄金でまた青く幾億いくおくたがい交錯こうさくし光ってふるえて燃えました。

 

「ごらん、そら、太鼓たいこ。」

も一人がぶっつかってあわててげながらいました。

ほんとうに空のところどころマイナスの太陽ともいうようにくらあいや黄金やみどりはいいろに光り空からちこんだようになりだれたたかないのにちからいっぱい鳴っている、百千のその天の太鼓鳴っていながらそれで少しも鳴っていなかったのです。

 

私はそれをあんまりながく見て眼もくらくなりよろよろしました。

「ごらん、蒼孔雀あおくじゃくを。」

まことに空のインドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓てんこのかなたに空一ぱいの不思議ふしぎな大きな蒼い孔雀宝石製ほうせきせいばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました

 

その孔雀はたしかに空にはりました。

けれども少しも見えなかったのです。

たしかに鳴いておりました。

けれども少しも聞えなかったのです。

そして私は本統ほんとうにもうその三人の天の子供らを見ませんでした。
かえって私は草穂くさぼと風の中に白くたおれている私のかたちをぼんやり思い出しました。

 


写真はミツシュウラが撮影したものです♩

 

宮澤賢治は、よく山(ツェラ高原)で過ごしていたそうです。

そこで異空間に行き、その体験を作品に散りばめています。

 

インドラの網では、異空間を天の空間と表現しています

それは自分のすぐ横にあると言うのです。

 

この作品では、宮澤賢治は湖に行きます。

そこで三人の天人に出会います。

 

そして、天人と一緒に太陽を見るのです。

天の世界にある太陽は、丸い溶けたような体をして、光が針や束になっています。

 

天の太陽

 

そう表現しています。

 

 

人工太陽やないかーい!

 

 

ミツシュウラはつっこみましたW

 

光が針や束になっている

 

これは、人工太陽の光を的確に現していますよ。

人工太陽は二種類の光線を出すからです。

(コリンさんがそう表現していた)

 

人工太陽から出るのは、普通の光ではないんです。

 

あいや黄金やみどりはいいろに光り

 

宮澤賢治も、色んな色で表現していますよ。

しかし、この光は、一般の人には見えないんですよね。

私は、ある時から見えるようになりました。

 

っていうか、人工太陽は普通の人のところには出てこないので、見えるわけはなく。

出たとしても、普通の太陽にしか見えないようになっています。

私は天の仕事をしていますので、実物を見ながら、コリンさんから直接教わりました。

 

話を戻します

 

私はここ数年、朝日や夕陽を撮影する目的でドライブしました。

ひらめきが降りて、何かが見えることがわかるのです。

それを追い続けて、大量の動画を撮影しました。

それをみんなに見てもらいたいと思ったんです。

 

宮澤賢治も、私と同じムーブをしていたのを後から知りました。

この作品を見て、すぐにわかりました。

 

宮澤賢治、お前もかW

 

前回のライブ配信で言いました。

 

太陽は私にしか見えていないのではないか。

現実にあるのか、脳内映像ではないか。

 

この作品では、天の空間に行って見える景色も、そこで出会う孔雀や風も、実在しないのです。

 

その孔雀はたしかに空にはりました。けれども少しも見えなかったのです。

たしかに鳴いておりました。けれども少しも聞えなかったのです。

 

つまり、幻視幻聴なのです。

 

五感を通じて、天波を受けているのです。

 

宮澤賢治は異空間に行く前に、匂いを嗅いでいたそうです。

 


賢治は月を見たり,月の光を浴ぴると同時に「草果」 の匂いを感じるという特殊な感覚の持ち主なのだ。 形 から匂いを感じたりする以外に,文字に色を感じたり, 音に色を感じたり,あるいは形に味を感じたりするこ とを共感覚と呼ぶ。


 

 

彼の五感が超越していることを示していますよ。

 

仏教で言うところの、五感と阿頼耶識が通じたことを示しています。

 

潜在意識から五感を通じて、ダイレクトに阿頼耶識(天波)を受けている。

五感に直接やってくる。

 

私は最近は聴覚が発達しており、音はなっていないのに、なっているように聞こえることがあります。

あるいは、味覚の予知が時々起こります(後で食べる物の味がする)

 

宮澤賢治は、さらに興味深い話をしているのです。

 

私は全体ぜんたい何をたずねてこんな気圏きけんの上の方、きんきんいたむ空気の中をあるいているのか。)

 

大気圏の上を歩いている

 

(ははあ、ここは空気の稀薄きはくほとんど真空しんくうひとしいのだ。だからあの繊細せんさいな衣のひだをちらっとみだす風もない。)

 

そこは真空に近い

 

(ここではあらゆるのぞみがみんなきよめられている。ねがいの数はみなしずめられている。重力じゅうりょくたがいされつめたいまるめろのにおいが浮動ふどうするばかりだ。だからあの天衣てんいひもなみ立たずまた鉛直えんちょくれないのだ。)

 

あらゆる望みが浄められている

願いの数はみな寂められている

重力がない

 

 

これ、私が見た夢の世界にそっくりなんですよ。

 

これまで何度も言及してきました、地球人として最高の場所まで行ったこと。

そこは大気圏にあり、その先は真っ暗な宇宙空間であるが、人間はそこにはいけない。

そこはかつて誰かが来たことがある至高の世界であり、人がいるのが見えた。

そこには自力では到達できない。連れてこられないと行けない世界。

いわゆる悟りに近い場所であり、意識界ではなく、心の世界である

全てのものが心を通じて通じ合っている

全部わかる。ものすごく澄み切って、美しい、喜びの世界。

そこに欲がある人がいると、全部バレる。

欲がある人がいくと、居心地が悪い。

本心がバレるから。

心地悪いと思う人は、そこで交われない。

 

一度そこに行ったら、心が反転する

(大河のように心地よさが溢れる)

マイナスが大河の一滴のように、すぐ消える

 

6年くらい前に夢を見てから

私の心象世界が変わったんです。

 

宮澤賢治も、そこに行ったことがわかります。

到達した地球人の一人だと思います

わずかな人間しか行けないんですよ。

自力では無理なんでW

 

 

宮澤賢治はコンタクトマンでした。

銀河鉄道の世界は当然のこと

グスコーブドリの話は自然災害の原因である火山を命がけで沈める人の話。

これは、日高基地の隊員の話ですからね。

 

昨年、宮沢賢治が書いた銀河鉄道の舞台が北海道にあると言うことで、各地をまわりました。

そして、彼が作品の中で描いている場所なんですが、私の脳内に最近見えた場所なんです。

今年中には行こうかと思っていた場所んですが、なんと作品に登場していましたよ。

場所は秘密ですW

 

 

作品のタイトルのインドラの網

これは、仏教用語だと言われています。

インドラ = 帝釈天の宮殿を飾る網

 

私はこれを知って、すぐにピーんと来たんです。

潜在意識ネットワークのことを指しています

 

例えば、行きつけのファミレス(作品を書いている)

いつ行っても、駐車場と席が空いている

どんなに満員でも、一番いい席が空いているW

 

これって、潜在意識ネットワークが介在して起こるんです

 

お客さんの潜在意識と私の潜在意識がマッチングしないと起こらないですからね

 

よく、シンクロニシティと言いますよ?

 

あれも、潜在意識ネットワークのなせる技です。

 

これが、インドラの網。

帝釈天の宮殿と表現されていますが

阿頼耶識の空間のことだと思います。

 

時空を超えて存在している

 

宮沢賢治が、天の空間はすぐ横にあると表現しました。

そう言うことなのです

 

例えば、スマホで世界中の情報が瞬時の取れますよね?

それって、サーバーにある情報が世界のどこにいても瞬時に取り出せるからです

しかも大量の情報があるのに、自分の情報がすっと取り出せる

これどうやっているか、普通の人は考えないんですよね?

私はIT系で開発の仕事をしていたので、ネットワークとかも割と詳しいんです。

AIがどういう風に情報を引き出しているのか、を考えるんですよW

ネット空間には、それこそ、大量の情報があるわけですからね

 

だから、潜在意識ネットワークのことも、気づいたと言うのもあります。

システム開発の時に、ネットワークから、安全で瞬時に情報を引き出すためのデーターベースを設計

これを仕事でやっていたからです。

 

話を戻しますが

 

インドラの網は、光のエネルギーのようです。

私はひらめき(感覚)でこれを捉えているから、わかるのです。

五感を通じて、天波を受けている

これがインドラの網ですよ

 

つまり時空を超えて、すべてつながっている空間

ここにアクセスして、シンクロニシティが起こる。

 

しかし、ネットワークですからね

通信障害もあるし、ブロック化していると、アクセス不良になるW

 

物理的にも、全人類が、やり取りすることはありませんよ。

このブログを見る人の運命も決まっており、人類の一部ですから

全部がつながっていても、全部と交流するわけではない。

 

運命空間によって、相互ネットワークが決まっている

シンクロが起こるもの同士が、運命共同体である

 

ただし、上に行くほど、その網の範囲は広くなる

 

そして

 

上に行くほど、上の世界との交流が頻繁になるW

 

宮沢賢治が行った世界

ミツシュウラが行った世界

 

似たような世界に行ったわけですよね

 

運命共同体であり、天の世界を伝える仕事をしているからなんだわ

 

三人の天子は、宮沢賢治と縁がある天の世界の人であり

私の指導者とも繋がりがあると思うよW

 

そもそも

配信で語った翌日くらいに、インドラの綱がネットで出てきたからね

天波が起こって、宮澤賢治に繋がったわかったわけで

でも、宮澤賢治の行った世界(岩手と苫小牧)にも行っており

これから行く場所も、彼の作品に出てくる場所だから

 

これもインドラの綱によって、シンクロが起こっているW

 

要するに、誰とシンクロするかが、自分の運命空間を指している

 

我々は、時空を超える、全てがつながっている、欲のない、清々しい世界に、導かれている

 

宮沢賢治が先に歩いた場所を、現代の私が歩いている

 

天子に導かれながら

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮澤賢治:天の世界の太陽」への2件のフィードバック

  1. 宇宙の友と心が通じると、こんなにも美しい世界を見せてもらえるのですね!とても温かい気持ちになりました。

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