心の悦びの違いが人生を分ける

コンタクトマンのミツシュウラです

 

現代数学の基礎を発見した、天才数学博士である岡潔先生。

 

 

岡潔先生は(50年以上も前に)現代日本の未来を予知をしており、その通りの未来が展開しています。

 

岡先生の話の中で、一番心に響いたのが、心の悦びについて。

 

詰め込み教育が、人間の心を破壊していくと、心の悦びを得られない人が沢山増えていくと言うことを本の中で伝えています。

 

天道を歩む人の特徴も、心の悦びを得られているかどうか。

 

四悪道を歩む人たちの特徴は、心の悦びを得られないゆえに、刹那的で刺激的な快楽に突き進んでいくと書いています。

 

つまり、心の悦びというのは、人が生きる上で、最も大事なことなのだろうと思います。逆説的に言えば、なぜ人は生きるのか、生きることの意味を求めている人たちは、心の悦びを感じていないのではないかと、推測します。

 


 

この記事では、心の悦びについて、思うところを書きたいと思います。

心の悦びって言っても、実はすごくもの微妙なんですよ。人によって感じることも、話すことも違うから。

 

ただ、心の悦びって、実はあまり深くは語られないけれども、人生を左右するほどに大事なことなんだろうと思います。

 

例えば、筆者は若い頃に映画が大好きで、北京に映画を学びにいくほど映画好きだったので、暇があったら見て人と話をしていました。

 

それで、アカデミー賞というのが最も栄光を高める瞬間なのですが、トムハンクスという俳優さんが、アカデミー賞を2回も受賞しているのです。史上初の快挙であり、筆者もすごく嬉しかったのですが、その時にふと思いました。

 

え? トムハンクスは、2度とアカデミーは受賞できないの?

 

え? もう彼の映画人生は終わるの?

 

そこにはっと気づいた時に、愕然となりました。

 

スマップも解散の時も思ったんですけども、頂点にたった先に待っている人生って、何なのだろうかと。

 

頭のいい役者さんたちは、賞を受賞することよりも、ずっと長く名優を続けることに人生を費やすんだろうと思います。高倉健さんとか、クリントイーストウッドとか、ロバートデニーロとか。ビートたけしとか、明石家さんまとか、レジェンドとかもそうなんだけど。

 

20代の時に、ふと、頂点にたったらその後の人生ってどうなるのか?という問いに入って行ったんです。そしたらば、わかったの。

 

栄光の瞬間って、一瞬しか続かないんだって。

 

これは大事な気づきであり、悟りですよ。

 

そこに人生を全てを費やすほどのことなんだろうかって。

 

有名人の末路とか、ゴシップで見聞きしてきたこともありますけどね(苦笑)

 

三田佳子さんの息子さんのことについても、色々と考えるのですよ。

 

女優と息子と天秤にかけて、どっちが大事なのだろうか?と。

 

私自身は、女優なんて人生をかけるほどのことではないと、(20代で)気づいているわけなのです。

 

そこを追いかけても満足はしないし、賞や名声をもらっても、永続しない。

 

結局はキリがない人生である。

 

それが人生20代の時に気づいたことだったのです。

 

そしてこれは心の悦びについて、よく現していると思います。

 

筆者は20代の時に付き合っていた当時のパートナーは、ビジネスというものを追いかけていたんですけども、その時もビジネスにもキリがないと気づいたんです。

 

人生を捧げるほどのものではないと、つまらないものだとはっきりと気づいていました。

 

そしてそれこそが、岡先生の言われいる、刹那的な心の悦びなんだろうと思います。四悪道の人たちが、追い求めている世界。修羅とか餓鬼とか怖い名前がついてますけど(苦笑)

 

では、天道の心の悦びとは何か? これが大事ですよね?

 

岡先生は、お百姓さんが一番天道に沿った生き方をしていると。

 

農家さんたちは汗水をたらして、自然界で労働をして、作物を育てて、はたらくこと、作物が育つことを悦びとするわけです。

 

これは純粋な悦びであり、気持ちがいいものなのです。

 

誰でも畑に出て草を取ったり、野菜の成長を見たら、感じられること。

 

芸能人たちが、よく野菜づくりをして、嬉しそうに話をしてますけど。

 

色んな女優さんや俳優さんたちが、畑づくりから心の癒しを得ていることを話していますけど。

 

これって、そのまんまのことを示しているように思います。

 

 

筆者は病気になった経験から色々と思ったですが

 

若くて、体が元気であると、色んな欲が出やすくなり、自分が思った通りに体が動ける分、欲望的になりやすいです。

 

しかし病気をしたり、ある程度の歳をとってくると、体力も気力も減退してきます。

そんな時は、健康のありがたさに気づける時なのですよね。

 

そうすると、体調が良いこと自体が、幸せに感じるのです。

 

これこそ、刹那的でない、永続する、真の心の悦びなんだろうと思います。

 

若くて健康な時は、思うように行動できることが悦びに感じられやすいのだけど、一過性に過ぎず、飽きたらまた新しいものを次から次にやっているに過ぎません。

 

好きなものをやったら幸せになるとか、そういう話を自己啓発業界が期待をふくらませる書き方で、印象を作ったりしているのだけど。

でもその幸せって、一過性のものに過ぎません。

 

筆者は若い頃に4年も世界各国に住んで、旅も思う存分にしたけれども、今の自分の方があの頃よりも、ずっと幸せに感じられます。

それはあの当時に経験したことの意味について、人生でわからなかった部分が明らかになってきたというのもありますが。

 

今の方が充実しているし、心の悦びが大きいからだと思います。

そしてその一躍を担っているのは、人間関係だろうと思っています。

 

どこに行くかとか、どんな体験をするかとか、そういったことは、実はそんなに楽しくはありませんよね。

 

でも誰と行くか、誰と体験を共有して、色んな話をして、心のつながりを高められるか。そこはある意味、心の悦びの中でも大きい部分なんだろうと思っています。

 

変な話、そんなに心が通えない相手と一緒に旅行したら、その体験自体がそんなに楽しくなかったりするわけですから。そして一人で行ったとしても、ちょっと寂しいし、心は躍ったとしても、吐き出し先がなければ、ちょっと物足りなくなります。(SNSではもっと物足りない)

 

人間には心というものが存在しており、悦びの深さによって、岡潔博士は情緒という表現をしているのだけど、それを感じ取ることが、人生の意味と彩りを変えてしまうのだろうと思います。

 

端的に言ったら、ずっと色褪せない、ずっと変わらない思いというのが心であり、心の悦びの深さを、現しているのだろうと思います。

 

例えば筆者なんかは、コリンさんと出会って、仲間のコンタクトマンや宇宙の人たちの話を聞いて、心から溢れるように出てきた純粋で深い思いというのがあって、それは時間がたっても一切変わらず、ずーっと心の中に生きています。

 

それがあるから、何があってもブレずに、まっすぐにここにいられるんだよね。

 

でも、それは思いというのが、心から出てくるものだからだろうと思います。そしてそれは心の悦びなんだろうと。

 

でも感動をしても、何かあったら気持ちが失せたり、簡単に色褪せる思いだとしたら、それは思考であり、純粋な心が介在していないからなんだろうと思います。

 

そうなると、刹那的になり、その時は楽しいと思えることに、走りがちで、期待が外れたら簡単に冷めるような、刹那的な心の働きになってしまうのだと思います。

 

おそらく創造の力というのは、純粋で強い思いから形になるように、物質界はそういう仕組みになっているのだろうと思います。

 

そしてそれが形になったとしたら、心の悦びはマックスになるのではないかな。

 

それを共有することもまた心の悦びになり、天の世界に通じていくのだろうと思います。それが人生の意味をかみしめることのできる道なんだろうと思います。

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

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