時代とは動物的な意識の集まりだと思う
コンタクトマンのミツシュウラです
筆者は生まれる前の世界の記憶を(今でも)はっきりと持っています。
長い話を割愛すると、そのことで、こちらの世界に来てから、大変戸惑ったことが沢山ありましたが、生まれる前の世界の人たち(おそらく南無世界の指導者たち)が(小学校2年生まで)側におり、いろんなことを教えてくれていたので、なんとか適応していました。
こちらの世界に来て戸惑ったことの一つですが、小学校1年生の時に節分で学校の先生が豆(落花生)を教室にまいた時に、生徒たちが床にはいつくばって、争うように拾い出したのをみて、呆然としました。
自分の意識に、床にはいつくばってまで、食べ物を欲しがり、争いながら我先に取り合うということが、なかったからです。
あまりにもショックで、一人だけ教室で立ち尽くして、意気消沈してしまったのを覚えています。
その後さらに、小学校や中学校の時代に、体育のサッカーを授業でやっていた時のこと。同級生の女子たちが一つのボールを奪うように追いかけていたのを見ながら、自分だけは外からそれを眺めていました。
自分だけいつも、サッカーの時は奪い合いに参加せず、相手ゴールの前にぼーっと立って、キーパーとふざけあっていました。自分のところにたまにきたボールを、ゴールにけって点を入れることもありました。そんな時は、同級生たちから、ずるいと言われていました(笑)
ここからが本題です。
自分だけ先に何かを得ようとして、焦って手を伸ばすという意識があり、それをみた人が、自分も追いつこうとして、手を伸ばそうとすると、我先にという意識がぶつかり合います。
それを見た第三者が、焦りや焦燥感を感じて、自分も群れに参加すると、群が大きくなり、我先に何かを得ようとする人が増えて行きます。それが伝わると、群集心理となり、パニックやブームになっていきます。
筆者は、それが(人間が生み出す)時代の正体なのではないかと思います。
そして、集団で群れとなって、獲物を得ようとする意識は、動物や魚などの他の生命体にも埋まっています。ですから人間の遺伝子に組み込まれた意識なのだろうと思いますが、実はその大元は、精子が卵子に受精しようとして、焦って先に立とうとする意識なのだそうです。
自分が何かを発見したり、見つけたりした時に、我先に利益を得ようとして、他者に抜きん出ようとする意識。その意識の人が現れた時、他者はそれに追従しようとします。
例えば仮想通貨をやった多くの人たちは、自分も時代に遅れないようにと焦って投資をしていったと言います。早く買えば、儲かるからという意識になって、他者を扇動したり、自分も加わったわけです。その結果、どうなったのでしょう。そして、買わなかった人たちはどうなったのでしょうか。
筆者は、子供の頃のエピソードのように、我先に何かを得ようとして、群れに入ることを、ずっとしませんでした。例えば、バブル時代は英語を得れば就職に有利と言われて、多くの人たちが海外に英語を学びに行ったり、資格を取ったりしましたが、筆者は(英語が好きだったけど)そのどれもトライしない代わりに、その当時まだ誰も行かなかった中国に単身で渡りました。
今振り返ってみると、中国の経験があれば就職に有利ですけど、だからと言って、それを生かそうとも思いません。意識の中に(仕事に有利だからという)損得勘定がないからです。
結果的に、時代という(集団の損得勘定の)群れに加わったことは一度たりともありませんが、なぜか時代を予知したかのように、人よりずっと先んじていることが多いです。
だから一言いいたのです。
時代なんか追いかける必要などないことを。
筆者はとっくにインターネットの時代は終わったと見限っています。そして、運命という個人に働いている大きなエネルギーのことを、淡々と記事に書いています。
ネットで集客して、お金を稼いで、好きなように自由に生きるという考えは、人としての(運命からも)本質からずれてしまうとさえ思っています。なぜかというと、ネットの人間関係というのは、損得勘定が先に出るからです。
今も毎日、人工知能関係のニュースが話題になっています。今日はアップルが車の所有者の認証システムの技術を世に出そうとしているとありました。善か悪かの議論はなく、我先に勝とうとする人たちが作り出している時代という未来に、一体何が待っているのでしょうか?
筆者は、横からそれを眺めながら、毎日色々と考えています。間違ってもその群れに加わることはないですけど、それよりも、もっと良い世界があるということを、これからもこのブログで書いていきます。
マイナス3度でも、路面の雪を溶かす太陽のことを、これからも書き続けますよ。(筆者と同じように、無我夢中で時代の群れにあえて加わろうとしない、人間らしい意識の人たちに向けて)
宇宙世界は今日も平和です
ミツシュウラでした