宇宙トンボと宇宙マガン

宇宙トンボと宇宙マガン

コンタクトマンのミツシュウラです

 

出雲で出会った(金と赤)宇宙トンボさん。

 

調べてみたら、昨年も来ていました。

 

中尊寺の金色堂の前にて

 

こちらは金と銀の宇宙トンボです。

10月25日に来ていました

 

季節外れのトンボさん。

人懐こくて、すぐそばに来ます。

 

 

そういえば、マガンの群れにも遭遇しました。

10月26日の早朝に撮影。

宮城県の伊豆沼の近くの畑で撮影

 

 

なんと、出雲の映像とそっくりですよ。

出雲・宍道湖の斐伊川河口付近で撮影

 

昨年と今年に遭遇した

マガンとトンボ

果たしてこれは偶然でしょうか?

 

気になって調べたら

宮澤賢治もマガンについて書いていました。

 


雁(かり)の童子』(1923) 一部抜粋引用

 

「雁の童子と仰っしゃるのは、まるでこのごろあったむかしばなしのようなのです。この地方にこのごろりられました天童子てんどうじだというのです。

 

沙車さしゃに、須利耶圭すりやけいという人がございました。名門めいもんではございましたそうですが、おちぶれておくさまと二人、ご自分はむかしからの写経しゃきょうをなさり、奥さまははたって、しずかにくらしていられました。

ある明方あけがた、須利耶さまが鉄砲てっぽうをもったご自分の従弟いとこのかたとご一緒いっしょに、野原を歩いていられました。
須利耶さまがお従弟さまにっしゃるには、お前もさようななぐさみの殺生せっしょうを、もういい加減かげんやめたらどうだと、うでございました。
ところが従弟の方が、まるですげなく、やめられないと、ご返事へんじです。
須利耶すりやさまは、その大きな黒い雁のれつを、じっとながめて立たれました。
そのときにわかにむこうから、黒いとがった弾丸だんがんのぼって、まっ先きの雁のむねました。

六発の弾丸が六ぴきの雁をきずつけまして、一ばんしまいの小さな一疋だけが、傷つかずにのこっていたのでございます。

そのとき須利耶さまのおどろきには、いつか雁がみな空をぶ人の形にかわっておりました。
赤いほのおつつまれて、なげき叫んで手足をもだえ、落ちて参る五人、それからしまいにただ一人、まったいものは可愛かわいらしい天の子供こどもでございました。

そして須利耶すりやさまは、たしかにその子供に見覚みおぼえがございました。

最初さいしょのものは、もはや地面じめんたっしまする。それは白いひげ老人ろうじんで、たおれてえながら、骨立ほねだった両手りょうてを合せ、須利耶さまをおがむようにして、切なく叫びますのには、
(須利耶さま、須利耶さま、おねがいでございます。どうか私のまごをおれ下さいませ。)

雁の老人がかさねて申しますには、
ども天の眷属けんぞくでございます。つみがあってただいままで雁の形をけておりました。只今ただいまむくいをはたしました。私共は天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたとはえんのあるものでございます。どうぞあなたの子にしておそだてをねがいます。おねがいでございます。)とうでございます。

須利耶さまが申されました。
(いいとも。すっかりわかった。引き受けた。安心あんしんしてくれ。)

そしてもちろんそこにはその童子どうじが立っていられましたのです。須利耶さまはわれにかえって童子にむかってわれました。
(お前は今日きょうからおれの子供だ。もう泣かないでいい。お前の前のおかあさんや兄さんたちは、立派りっぱな国にのぼって行かれた。さあおいで。)

須利耶さまはごじぶんのうちへもどられました。

 

 

童子どうじは早くも六つになられました。

春のある夕方のこと、須利耶すりやさまはかりから来たお子さまをつれて、町を通ってまいられました。葡萄ぶどういろのおもい雲の下を、影法師かげぼうし蝙蝠こうもりがひらひらと飛んでぎました。

子供らが長いぼうひもをつけて、それをいました。
雁の童子だ。雁の童子だ。)

けれども一人の子供が冗談じょうだんもうしまするには、

(雁のすてご、雁のすてご、春になってもまだるか。)

みんなはどっと笑いましてそれからどう云うわけか小さな石が一つんで来て童子どうじほおちました。

須利耶すりやさまは童子をかばってみんなに申されますのには、
おまえたちは何をするんだ、この子供こどもは何かわるいことをしたか、冗談にも石をげるなんていけないぞ。
童子ははじめからおしまいまでにこにこわらっておられました。須利耶さまもお笑いになりみんなをゆるして童子をれて其処そこをはなれなさいました。そして浅黄あさぎ瑪瑙めのうの、しずかな夕もやの中でいわれました。

(よくお前はさっきかなかったな。)その時童子はお父さまにすがりながら、
(お父さんわたしの前のおじいさんはね、からだに弾丸たまをからだに七つっていたよ。)ともうされたとつたえます。」

 

 

須利耶さまは童子を十二のとき、少しはなれた首都しゅとのある外道げどうじゅくにお入れなさいました。

ある日のこと、童子がにわかに帰っておいでです。

母さまがまどから目敏めざと見付みつけて出て行かれました。
(まあお前は今ごろどうしたのです。)
(私、もうお母さんと一緒いっしょはたらこうと思います。勉強べんきょうしているひまはないんです。)

(お前はまたそんなおとなのようなことをって、仕方しかたないではありませんか。早く帰って勉強べんきょうして、立派りっぱになって、みんなのためにならないとなりません。)

(だっておっかさん。おっかさんの手はそんなにガサガサしているのでしょう。それだのに私の手はこんななんでしょう。)
(そんなことをお前が云わなくてもいいのです。だれでも年をれば手はれます。そんなことより、早く帰って勉強をなさい。お前の立派になることばかり私にはたのしみなんだから。

お父さんがお聞きになるとしかられますよ。ね。さあ、おいで。)とう申されます。

童子どうじはしょんぼりにわから出られました。それでも、また立ちどまってしまわれましたので、母さまも出て行かれてもっとむこうまでおれになりました。そこは沼地ぬまちでございました。

 

母さまはもどろうとしてまた(さあ、おいで早く。)とっしゃったのでしたが童子はやっぱりまったまま、家の方をぼんやり見ておられますので、母さまも仕方なくまたかえって、あしを一本いて小さなふえをつくり、それをおたせになりました。
童子どうじはやっと歩き出されました。そして、はるかにつめたいしまをつくる雲のこちらに、蘆がそよいで、やがて童子の姿すがたが、小さく小さくなってしまわれました。

にわかに空を羽音がして、かり一列いちれつが通りました時、須利耶すりやさまはまどからそれを見て、思わずどきっとなされました。

そうして冬に入りましたのでございます。

 

そしてお二人は町の広場を通りけて、だんだん郊外こうがいに来られました。すながずうっとひろがっておりました。そのすなが一ところふかられて、沢山たくさんの人がその中に立ってございました。お二人も下りて行かれたのです。

そこに古い一つのかべがありました。

色はあせてはいましたが、三人の天の童子たちがかいてございました。

須利耶さまは思わずどきっとなりました。

何か大きいおもいものが、遠くの空からばったりかぶさったように思われましたのです。

それでも何気なくもうされますには、
(なるほど立派りっぱなもんだ。あまりよく出来てなんだかこわいようだ。この天童てんどうはどこかお前にているよ。)
須利耶すりやさまは童子どうじをふりかえりました。そしたら童子はなんだかわらったまま、たおれかかっていられました。須利耶さまはおどろいていそいでめられました。童子はお父さんのうでの中でゆめのようにつぶやかれました。
(おじいさんがおむかいをよこしたのです。)

須利耶さまは急いでさけばれました。
(お前どうしたのだ。どこへも行ってはいけないよ。)
童子がかすかにわれました。

(お父さん。おゆるし下さい。私はあなたの子です。このかべは前にお父さんが書いたのです。そのとき私は王の……だったのですがこの絵ができてから王さまはころされわたくしどもはいっしょに出家しゅっけしたのでしたが敵王てきおうがきて寺をくとき二日ほど俗服ぞくふくてかくれているうちわたくしは恋人こいびとがあってこのまま出家にかえるのをやめようかと思ったのです。)

人々があつまって口々に叫びました。
かりの童子だ。雁の童子だ。)

童子はも一度いちど、少しくちびるをうごかして、何かつぶやいたようでございましたが、須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかったともうします。

 

 

私の知っておりますのはただこれだけでございます。」

老人ろうじんはもう行かなければならないようでした。

私はほんとうに名残なごしく思い、まっすぐに立って合掌がっしょうして申しました。
とうといお物語ものがたりをありがとうございました。

まことにおたがい、ちょっと沙漠さばくのへりのいずみで、おにかかって、ただ一時を、一緒いっしょごしただけではございますが、これもかりそめのことではないとぞんじます。

ほんの通りかかりの二人の旅人たびびととは見えますが、じつはお互がどんなものかもよくわからないのでございます。

いずれはもろともに、善逝スガタしめされた光の道すすみ、かの無上菩提むじょうぼだいいたことでございます。

それではおわかれいたします。さようなら。」

老人は、だまってれいかえしました。

何かいたいようでしたが黙ってにわかにむこうをき、今まで私の来た方の荒地あれちにとぼとぼ歩き出しました。

私もまた、丁度ちょうどその反対はんたいの方の、さびしい石原を合掌したまま進みました。

 


 

雁の童子は中央アジアの仏教伝来地が舞台の逸話です。

旅で出会った老人から、天から来た(雁の童子)の伝説を聞かされます。

伝説の内容は、撃ち落とされた雁が子供となってもらわれて、最後は天に帰って行くストーリーです。

壁画(三人の天の童子)が登場しますが、この絵は前世で書いたものとして、輪廻転生が描かれます。

さらに旅で出会った老人と聞かされた主人公も、縁あって出会っているのでした。

 

老人が最後に語るセリフ(いずれはもろともに、善逝スガタしめされた光の道すすみ、かの無上菩提むじょうぼだいいた)がこの作品のテーマだと思います。

 

つまり、雁の童子は、善逝スガタしめされた光の道すすみ、無上菩提むじょうぼだいいたった、つまり天に帰ったのです。

 

雁の童子はミーランで発掘された有翼の天使を参考にしたと言われてます。

インドラの網でも出てきた三人の天子です。

 

一番印象的だったのが、雁の子を連れ帰った人物が、窓から雁の一列を見たシーンです。

空に羽音がしたこと、ドキッとしたと書かれています。

 

これを見て思い出したのが、私の本(コンタクトマンに聞いた惑星連合の話)に出てくる雁の目撃談です。

羽音。鳴き声、雁の列を目撃したこと

彼らが惑星連合からの使者だったと紹介しました。

私が目撃した鳥は、普通の雁ではなく、大きい雁でした。

宍道湖で目撃したやつとそっくりだったんですよ。

(珍しい大きい雁)

 

宮澤賢治は、銀河鉄道の夜でも、マガンの群れを登場させてます。

どんだけ雁が好きなんだW

彼も宇宙からの使者を見ていたんでしょう。

 

最後にトンボの話をば

 

こちらのニュースを見ました。

[福岡県]国内唯一トンボ模した古墳時代の飾り 蜻蛉形鞘金具公開中

 

トンボの形をした金具が出土していました。

 

これって

銅鐸に書かれているトンボと同じ意味なのだろうか。

 

天皇がトンボを見かけたことから、日本を秋津島と呼びました。

おそらく、これが金具や銅鐸の由来かなと。

これって、宇宙トンボじゃないのかな。

 

銅鐸を作った時代の人も、現代のミツシュウラも

宇宙トンボと出会ったのかしら

 

時空を超えて

 

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

ミツシュウラでした

 

 

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