新時代の松尾芭蕉と阿頼耶識が作る森羅万象
コンタクトマンのミツシュウラです
先日、古墳時代の文献を見ていたら面白い記述を見つけました。
要約すると
敵軍が烏合の衆の集まりだから、信頼関係がなくいずれ空中分解すると言い当てた。
敵軍が多かったが、慌てず焦らず、読み通り敵軍がバラバラになり、戦に勝った。
本質を見抜いた将校は、新時代の王になった。
先日のブログで同じことを書きましたね
こんな時代だから、みんなで団結して、同じ目的に向かって立ち向かおう!
そう呼びかける人は大勢いますが、私はうまくいかないと言った
その理由は、まさに烏合の衆だからです。
新しい時代を作ろうとする割には、1600年前の人の言う本質がわかっていない
理想を掲げいいこと言っているけれど、現実は虚仮である
親鸞和尚の例えがしっくりくる〜W
私はこの時代にデモとか扇動とか集会とかグループ活動とか活発になると6年前から予言していました。
天の決めたリーダーが現れるから、その人についていけばいいと言いました。
天が決めたリーダーの条件は未来を正確に読み取り、問題解決をわかりやすく提示する
仏教の言葉で言うと、阿頼耶識(天波)と通じている人です。
阿頼耶識の入り方について、岡潔先生がわかりやすく説明しています
【理性と無差別智】
普通の人が、経験することによって知っている知力は、理性というような型の知力です。この知力は、まず、意識してでなければ働かない。つまり、働かそうと思い、その努力を続けている間だけしか働かない。
第2の特徴は、少しづつ、順々にしかわかっていかない。
しかし、人が経験する知力に、まれにではあるが、こういうものでないのがあります。例えば、数学上の発見の時に働く知力は、こんな型の知力ではない。このそうでない型の知力を一番経験するのはどういう時かというと、仏道修行の時です。
仏教の言葉で説明すると、まず、その知力は、無意識裏に働くのです。
働かそうとも思わず働かしているとも意識しないのに働く。そして、結果が出る。
その結果の出方は、一時にパッとわかって、順々にわかっていったりするのではない。
この2つの特徴をもった知力を〝無差別智(むさべっち)〟というのです。
無差別とは、無意識というような意味です。仏教の修行をしますと、無差別智がよく働く。そして、我々が肉眼を使って、いろんなことを知るように、無差別智を使って修行を深めていくのです。それで、仏教には、ごくまれですが、非常な高僧が出る。仏教が、日本に渡ってから、すでに1300年、ごくまれに出る非常な高僧の経験を書き記したものによって、無差別智のことは非常によくわかっています。
岡先生はわかりやすい言葉で説明してますよね
私は、意識の方向性を持たないと表現しました。
岡先生は、意識を働かそうとしないと言ってます
おんなじことですよ。
私の言葉で説明します
例えば、誰かが言ったことに反論しようとすると
相手を批判するために、意識を働かせ言葉を探します
意識の方向性とはこのことです。
ゴールは、相手を貶めることに設定している
意識に狙いを定めたら、そればっかりになってしまう
キリがない。すっきりしない。意味がない
仮に私が誰かを批判しようと意識を使うとすぐはっとするんです。
ずれたなとわかるんです。
これが阿頼耶識(無意識)の介入です。
例えば誰かの言葉にイラッとして、反論しようとする
そうやって考えると次から次に浮かびますが
エンドレスでキリがなくて、すっきりしない。
私はこれがすごく嫌なんです
それに、悪意を持って何かを考えると、すぐに別の意識が介入する
これ違うってなる。
ブレーキがかかるんです。
これこそが、無意識からくる無差別智です。
意識に方向性を持たないと書いた
これは、無差別智によって入ったことを書いている
ふっと思う、瞬間的にわかる。パッとわかる。
同じことを、別な人が、(岡先生が)違う言葉で話している
無差別智が外から入ってくる証拠ですW
方向性を持って意識を働かせて思いついたことは、妄想です。
自分が考えたことだから、自分に属している
だから、他の誰も知らないと、思うのです
無差別智は、共通性で外部(天)からの情報だから、自分のものとは思えない
自我が通っていない
それが真我ですよ。
働かそうとも思わず働かしているとも意識しないのに働く。そして、結果が出る。
その結果の出方は、一時にパッとわかって、順々にわかっていったりするのではない。
この2つの特徴をもった知力を〝無差別智(むさべっち)〟というのです。
意識を働かそうとしていない
つまり、何も考えていない状態(空)
ハッとなる
ああっと声が出る
これが無差別智
1秒です
コリンさんはこれをピンとくる、ピンとこないで表現していました。
十年経って、わかってきたW
私がブログやライブで発信するタイミングは
ハッとなった瞬間です
すぐにブログに書こうとなる。
これを書いているときに、下ろしている
ハッとなったことを、今、解読しているのです
はっに向かって言葉を下ろしている。
文章にちゃんと中身があるんですわ。
自我だとこうはならない
何を言いたいの?となる
智というだけあって、やはり智慧なんですね
聞く方も、ちゃんとハッとなるはず。
同じ経験と感覚は誰でも持っているから

ピンとくるミツシュウラ
仏教では阿頼耶識は、現象に作用すると書かれている
ここが重要。
このブログは満席のファミレスで書いていますが
駐車場は空いていました。
席もいい席をゲットしました。
阿頼耶識(潜在意識ネットワーク)に繋がっている
つまり、現象を伴っている
そんで、ここからが私が言いたいこと
岡先生の無差別智で例えるよ
お釈迦さまは例え話で法を説いたと言われているが
私も例え話で伝えている
お釈迦さまが言ったことを、解釈して伝えようとする場合
自分の解釈があっているかどうかで迷う。
記憶が正しいかで迷う。
説明がふらつくのですよW
私は瞬間にパッと浮かんだら、すぐに例えが思いつく
それを話しているだけ
パッと理解していることを、置き換えているだけ
変換しているに過ぎない。
ちょっとでもズレると気持ち悪い
的を得ているとはそういうこと。
言葉に全く迷いがないんだ。
記憶で覚えている人が発信すると、的を得ない状態。
何を言っているのかフラフラするW
あるいは、パッと言葉が出てこない。
本当には智を得ていないと、そうなる
だから無差別智というのは、パッと一瞬で言葉に変わる
澱みなくスラスラと、短く綺麗に流れるように出てくる
的がきっちりと決まっている
結果的に、聞き手にはっとした無差別智を与える
これが、本来の説法なんだ。
そして、ここからも私の独自の解釈。
阿頼耶識は潜在意識ネットワークに通じている
共通性があり、現象界にも作用する
例えば私が駐車場が見つからず、満席で悪い席しか当たらない人だったら、阿頼耶識に通じていない
阿頼耶識がとか真我がとか言いながら
間が悪くてトラブルばかり起こるのであれば
それは虚仮である。
阿頼耶識が現象界に作用するのであれば
身に起こる森羅万象は、阿頼耶識からくるものである
天界が起こす現象界を通して
無差別智を得るようになっている
現象界における真理や法を理解するために
つまり
天界が起こす現象の仲介者になる
共同創造ということ
いくら天が自然操作をしたとて
解釈する人がいなければ。。。
しかし解釈する人がいると
天はどんどん向けてくる
結果的に地に天の操作が入るようになる
地球の自然現象も天により変わるわけさ。
話は横道に少しズレるけども
星型シップを見た人たちは思ったはず
これは本当なんだと
したらば、迷いの心が消えるから
不退転となる
不退転とは二度と六道に戻らないW
仏の世界に到達することが決まる
疑いや迷いが起こらない境地
そうなると、迷いが消え、色んなことを受け入れる心が生まれる
迷いのない不退転の心の状態になると
空間操作や気象操作、つまり自然界の森羅万象に対しても受け入れるんだわ
ここからコンタクトが深まっていく
天界が起こす森羅万象
迷いとか疑いとか、自我の介入が消えると
自分のいる空間に、天の介入が入るようになる
私はそれを天と人間の共同創造だと思う
人の運命は阿頼耶識に作られている
これを正しく解釈すると
私の空間にさまざまな天の介入的な自然現象気象操作が現れている理由は
十年間の過去の私が作ってきた(意識)の現れである。
太陽や月や星を見ながら、自然現象の介入を眺めてきた
ニュー松尾(芭蕉)W
他人の意識を操作することばかりやってきた人は
他人の意識が作ったものが阿頼耶識に作られて
それが現象として空間に起こるんだわ

美しい自然空間は
天と人との共同作業
そこから始まる、ニュー松尾(芭蕉)ワールドW
これからも伝えていくよ!
ミツシュウラでした
