南九州最大級の前方後円墳を見てきた 海洋民族の拠点
コンタクトマンのミツシュウラです
今日は大隅半島の南に行ってきました。
天気予報は80%雨でしたが
太陽さんが出ておりました

前から行きたかった場所へ
ついに、行くことができました❤️

歓喜に舞うミツシュウラW
九州最大級の前方後円墳をコンプリートしたとです。

西都原や生目はすでに行ったんですが
唐仁古墳と横瀬古墳に行きたかったんです。
⭐️唐仁古墳(154メートル)

⭐️横瀬古墳(134メートル)

大き過ぎて、近くでは全貌が見えません。
予報は雨だったんで、見れないと思いましたが
行ったら曇り空で涼しい風が吹いてました。
詳細はこちらのサイトで
これらから、幅広く交易、交流活動をやっていた様子がみられます。九州の西海岸ではなく、太平洋側に九州でそれぞれの時期に最も大きな古墳が大隅肝属川河口、宮崎大淀川河口、西都原に建てられたことが、瀬戸内海からヤマトのルートとみています。すでに南九州では5世紀前半に鉄器の生産がされていたことは考古学の今までの常識から大きくはずれるとしています。
古墳時代の南九州では、鍛冶関連の遺跡が数多くでているのです。地下式横穴墓では、象嵌装飾工具など鍛冶関連遺跡物には注目すべき出土物がでています。そこには、全国的な共通様式と在地様式が混在しているというのです。古墳時代の鉄器生産は朝鮮半島との強い関係をもっていることがえびのや串良の鉄器生産遺跡から明らかになったとしています。
はい きましたよ
鉄器の生産です。
本に書いているトピックきた。
タイミングが絶妙W
串良に鉄器生産遺跡があったとありますが
串良は今回行った古墳群の近くです。
前方後円墳ができたことと、関係あるでしょう。
当然、七枝刀(369年)とも関係あります
4世紀ですから、同時代にできた古墳です。
倭国は神国と呼ばれ、聖王がいると言われていました
ロマンを感じますW
大隅国風土記に串良に関して次のような記述があります
串卜郷
・大隅の國の風土記に、大隅の郡。串卜の郷。昔者、國造りましし神、使者におほせて、此の村に遣りて消息を見しめたまひき。使者、髪梳(くしら)の神ありと報道しければ、「髪梳(くしら)の村と謂ふべし」と云りたまひき。因りて久西良(くしら)の郷と曰ふ。(髪梳は、隼人の俗の語に久西良といふ)今改めて串卜の郷と曰ふ。
国造りの神とは、朝鮮半島から来た古墳人だと思います。
3世紀頃に大隈にきたら、原住民がいた。
髪梳(くしら)の神と呼ばれた。
(髪長姫と関係あるのしょうか。)
おそらく中国や東南アジアから海を渡ってきた、海洋民族でしょう。
南九州の古墳人は、畿内の大和政権と繋がりがあった。
おそらく、生駒に天下った饒速日(With 蛇行刀)です。
彼らは日の昇る(東側)に向かい、勢力を拡大して行った。
なぜ東に向かったのか。
その理由などを本に書いていきます。
ところで、仁徳天皇陵は全長約486mですって。
九州最大の古墳の約3倍。
でかっ
巨大な富のソースは、海洋貿易です。
南九州の海洋民族が貿易に関わっていたと思われ
彼らの海洋拠点が、今回行った場所のようです。
海を渡った古代人の幻影が見えるかのような趣のある場所でした
宇宙世界は今日も平和です
ミツシュウラでした
