伽耶国と出雲のつながり
コンタクトマンのミツシュウラです
伽耶国を調べていたら、出雲とのつながりが出てきました。
以下抜粋
少し詳しい人なら、出雲郷の地名が、同地に所在する阿太加夜《あだかや》神社に由来することは、ご承知のことと思います。
この神社のルーツを考える上で注目されるのは、同神社のある意宇《おう》平野から出土する朝鮮半島系土器の存在です。
これら朝鮮半島系土器の多くは当時、加耶《かや》と呼ばれた、朝半島南部のものが多数を占めています。
中でも注目されるのが、現在の慶尚南道咸安《けいしょうなんどうはまん》付近にあった阿羅加耶《あらかや》という国です。この地域の阿羅伽耶様式と呼ばれる土器が、出雲市の上長浜貝塚《かみながはまかいづか》や中野清水《なかのしみず》遺跡、松江市の佐太前《さだまえ》遺跡で見つかっています。
意宇平野では、この阿羅伽耶様式の土器そのものは出土していませんが、阿羅加耶に隣接する昌寧《ちゃんにょん》地域の土器が見つかっています。また、出雲国府跡では、朝鮮半島南西部の馬韓《ばかん》の土器も出土しており、朝鮮半島の特定箇所ではなく、複数地域の人々が居住していたようです。
このように、5世紀の意宇平野に朝鮮半島南部、特に阿羅加耶付近とつながりのある人々が居住していたという考古学的事実に基づけば、出雲郷のルーツは、阿羅加耶に関係する神を奉斎した渡来人集団に由来する可能性があるのではないか、というのが私の仮説です。
ワシが調べると、必ず何かにぶち当たるW
伽耶、馬韓は、本に書いている場所そのものです。
この二つの地域のルーツを、本に書き上げた所です。(昨夜書き終わった)
真実は、一つです。
つまりどれをとっても、どの線をたぐっても、ちゃんとつながります。
上の記事は、土器でルーツを探る話。
土器だけなく、文献や馬具や出土品からも探ることができる。
考古学は過去の調査ですが、真実を探る力を身につけることができます。
妄想だと、こうはなりませんね。
あれも違う、これも合わない。バラバラで、実体が浮かびません。
そうなると、迷いだらけで、頭が混乱してしまいます。

研究者に畏敬の念を持つミツシュウラ
たまたま読んでた海外の文献で、こんな物を見つけました

どこかで見たことありませんか?

これこれ
昨年、見に行った手宮洞窟。
あれれ? そんな昔から、人の行き来があったんですか?
やはり、点と点がつながっているのW
今回の本では書かなかったが。
饒速日が高天原から乗ってきた、天の岩船(天の鳥船)
これではないかと言う話を、海外の文献で見つけた。
しかも、伽耶国と関係があるW
どれを探っても、同じ場所に突き当たる。
そこが天皇家のふるさとW
コリンさんの先祖のルーツでもある。

真珠がびっしり
ミツシュウラでした