松下松蔵語録
コンタクトマンのミツシュウラです
松下松蔵氏の言葉で気になったことを紹介します。
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以下抜粋
私が、神通力を発揮して多くの患者を治す目的は、唯病者を救うと云うだけでなく、世の中には、人間の眼に見えない、霊界が厳存して人の運命を支配している事を立証し、物質文明に捉われて、精神界の因果律を忘却し、無視しつつある現代の人心を、眠りから醒めよとの神意を顕わすことにあるのだ。
その三十二:昭和五年七月 信者達へ
地球の表面には清潔な空気のある所も、汚れた空気のある所もあり、又、病毒黴菌の充満するところもある。この様な空気のある所に住む人のうちには、二道の空管が、時折この悪い汚れた空気に感染して、調和の破れた冷熱の気を送り込まれるから、冷熱の気の働きが弱る、即ち魂の食物が弱い為に霊魂の力が弱くなり、魂の病気となって自然に肉体の病気となる。
心臓に送り込まれる冷熱の気が平均を失い、温い部分が多くなると、造られる血液は蒸されて癩病の素となり、甘い部分が多過ぎるとその血液は肺病の素となるという様に、冷熱の気の調和を失うとき、魂の病気になる。
冷熱の気が送られない時は、心臓の活動が止まり、心臓の活動を失うと霊魂の命令を肉体に伝える事ができない為、茲に肉体は分離し人生の終わり、死となる。
人間はどうして生きているのかというと、この魂を養い心臓活動のもとになる冷熱の気が、二柱の神様から送り与えられるからで、この気が直接、人間の生命を司っている。
換言すると、人間は男女二柱の大神様から直接に霊魂の養いとなる冷熱の気を与えられるから生きているが、この気が絶たれると、その瞬間が死であり、現世生命の終わりである。
多くの人は食物をとって生きていると思っている。食物は人の生命に必要なものには相違ないが、一日二日食べなくても、すぐには死なず、断食をする人などは数十日も食物を摂らなくても生きていることがある。
人の生命にもっと深い関係がある空気にしても、呼吸が止まれば死ぬから、空気は人の生命に最も必要なものに相違ない、しかし深く考えると、人為的に呼吸が止まっても、相当な時間が経過した後、人工呼吸で再び息を吹きかえし生命をとりとめることもある。
その三十三:昭和五年八月十八日 信者達へ
世の中で、神様と称して祭っているものの多くはみな、祖先の霊で、中には多少霊力を有し、人に幸福を与えるものもあるが、すべて迷える霊を助ける力はない。このことは天と地と人をお造りになった、二柱の大神様だけがおできになる。
迷っている霊の子孫が、大神様を信仰し、御慈悲にすがり先祖のお助けを願うとき、その信仰によってお助け下さる。
人は二柱の大神様から直接、一刻一秒絶え間ない御恵みを頂く中で養われて生きている。それを知らず、自分の力で生きていると考え、無神論を唱え、神様の事を話すと、迷信だとするのは、沙汰の限りだ。
四大道は、不可分の道で、この中の一つ欠けても、神様の御心に副わない。
どんなに神様を信仰し敬っても、家庭を円満にし忠孝に励まねば、祖先を喜ばすこともなく、死んだ後、その人の霊も良いところへ行けない。
人は神様を喜ばせ、先祖の喜ぶことを心がけねばならない。
その三十五:昭和五年十月 信者達へ
霊眼の開かれた人は、霊界のすべての霊と話せるから、この人を通じて、先祖や亡くなった両親家族の霊界での消息を知る事ができる。霊眼の開かれた人には、各人の胸に大神様からつけられた「記」があるのが見えて、それを見るとその人の生まれた系統と血筋が判然とする。
その三十六:昭和五年十月 信者達へ
天皇陛下の御血筋を引いている方には、胸の真ん中に大きな金色の筋が見え、
皇族の方の御血筋を引いている人には胸に金色の中筋が見える。
勤王家の血筋の人には胸に金色の小筋が見え、
勤王家で出落ち人の血筋には胸の真ん中に小さな金色の筋が見える。
又、勤王家に仕えた人の血筋を引く人には胸に銀色の筋が見える。
母方の家系が同様の時は、胸の左方にこの通りの記が見える。
逆賊の子孫には背部に鉄色の血筋が見え
逆賊で落ち人の子孫には背部の真中に鉄色の小筋が見える。
その三十八:昭和五年十一月十六日 信者達へ
眼に見える第一のもの、太陽は、神様から光と熱を受け、それを動かして地球上の全生物に伝え、成育を助けている。
太陽は神様が御仕事をなさる、一つの道具で、その又、奥に、生命の根源である、大神様は居られる。
神様から、生命の力が、太陽を通してこの地球上の、生きている全ての物に、ながれこんで来る。そのお力の出るところは、それを受けるものにより、異なっている。
太陽の表面からは全人類に、
右側からは全獣類に、
左側からは全鳥類に、
下方からは草木その他、地上、地中総てのものに流入する。
太陽の上方からは、地球を照らす大きな光が来ている。
太陽の向う側と上方には、神様の御力が特に充満している。
太陽の内部は、想像を絶する強力な光と熱で満ちていて、これはみな、神様が太陽を活動させる為、与えられた御力である。
神様は、太陽と月から、全人類の一人一人を繋ぐ、二本の空管を通じて、生命の力を各人の魂に送られている。
太陽の表面から人類には、女神様の御魂の気が来て、人間の左鼻孔と左の耳孔から入り、頭の上部にある女神様と女親様の御魂の気に入り、さらに進んで心臓の第三と第四の部屋との通路へ、熱い霊気として流れこむ。
この空管が通過する場所によっては、故障を生じることがあり、悪い空気が、汚れた場所を通る時は、空管が汚れて、自然に魂の糧道を妨げることがある。
人間は、女神様から、太陽を通して熱い霊気を、又、男神様からは、月を通して冷たい霊気を、直接に頂いて生命を持続している。
太陽と月は、二柱の大神様が御協力の上、御造りになられたものであり、神様の御魂の気は、どちらにもあるが、太陽には女神様の御魂の気が多く、月には男神様の御魂の気が多い。
その三十九:昭和五年十一月十八日 信者達へ
宇宙にある星の一つから一管の道が、その星につながっている人の、頭上にある、俗に「ギリギリ(つむじ)」と称するところに達しており、その星と人との間に、その人特定の気が通じている。
人の道ー幸福を求める人の為にー 松下延明著
「人の道」は、松下松蔵翁の孫にあたる松下延明氏(孫先生)の著である。
序文にはこう書いてある。
序文 現実をみつめて
人間の宿命は、生まれながらにして、神様より定められたものであり、その運命は先祖より己に至る総決算である。
人間の生命は、男と女の出会いによって母体に胎児として宿った瞬間から始まる。
人間の人生は、その誕生より始まり、必然的な死を迎えて、終焉の幕を閉じるのである。
この限られた人生を考えつつ、現実の人間生活に目を向けると、色々な人間が生活しております。
その中で精神的にも、肉体的にも、経済的にも、物質的にも、あるいは家庭的にも、社会的にも恵まれて生活している人、
幸福という二字に恵まれて、人生を意義深く送っている人々と、
これらに全く恵まれず、無縁にして不幸という二字に追いかけられ、路頭に迷って逃れることのできない人々、
自らの手で、不幸の穴を掘り続けている人々、
不幸の種を撒き散らしている人々、
自分の目の前に幸福がありながら、精神的能力が無いために気がつかず、迷いと不安、悩みと苦しみの中で、不満を抱きつつ愚痴をこぼして生きている人々、
このように不幸という十字架を背負い、好運にも巡りあえず、泥沼の中で生きている人間が、多くいることも事実であります。
しかしながら、不幸というものは、神様がお作りに成るものではなく、人間が自分の手で作るものであります。
人間生活の中で生ずるさまざまな悩みや苦しみ、恐怖や不安、迷いや疑問、そして矛盾、これらから逃れるために、人間が考え出した思想や邪教に救いを求めたりしますが、不完全なるがゆえに、横道にそれたり、行き止まりになったりして、本質的な解決にはならず、絶対に救われるものではありません。
「今、私は、正しい神様を信仰し、人間として正しい道を歩いて居るであろうか」
と自問自答して、自分を心静かに見つめてください。
人間は、与えられた自分の人生を、総決算する時が必ず到来する。人間の老化と死は、避けて通りえない宿命なのです。
限られた人生の中で、終末が訪れた時に気がつき、いくら反省し、後悔しても後の祭りで、
「後悔先に立たず」であります。
人間の能力で過ぎし時を取り戻すことは、絶対にできません。
人間の一生を考えますと、大宇宙の時の流れから見れば、一瞬の間に過ぎないのです。
この事実を考える時に、未知なるが故に、信仰的に紆余曲折があったとしても、不完全な思想や営利主義のもとに理屈で作った宗教、そして既存の御利益信仰(利益だけを求める信仰)や祈祷信仰(唯神仏を拝む信仰)を捨てて、一日も早く、否一時も早く、万物の創造主である唯一無二の天津神様(天の神様)を求め、偉大な摂理(神様の御意志と御恵み)と啓示(御諭し、御知らせ)を会得し、そこで実践して、正しい信仰のもとに、正しい道を歩き、地に足が着いた信仰をしなければならないということであります。
それには目先の利得(利益)だけを求めるのではなく、万物の霊長たる人間は、現世から来世に生きるための有徳(徳を備えていること)を得て、現実に生きながらにして、永遠の生命の喜びを自らの手で獲得し、体験することに他ならない。私たち人間は、神の道を切り開いてこそ、真の人生があるのであります。天津神様は、求める者の魂によって、必ず与えられ、そして正しく導かれ、守護されるのです。
貴方の正しい信仰への勇気が、貴方の今後の人生を大きく切り開き、幸福な人生へと発展するのであります。この「人の道」が、貴方の信仰への手引きと成ることを確信してやみません。
昭和六十二年六月十八日 松下延明
神 言
貴方達(あなたたち)の先達(せんだつ)として、私は、貴方(あなた)にこのことを言い残して置きたい。
信仰こそは、人生の宝の家のありとあらゆる扉を開く、万能の鍵(かぎ)である。
貴方(あなた)の言葉の使い方に依(よ)って、貴方(あなた)は、弁護もされ、又(また)批判もされるのである。
人生は、冷厳(れいげん)な現実であり、人生は厳粛(げんしゅく)である。
現代の人々に必要なものは、物質の糧(かて)ではなく、魂の糧(かて)である。
貴方(あなた)の考えと思いを、常に正しいことに向けよ。
以上です