本物と偽物の違い
コンタクトマンのミツシュウラです
本物と偽物の違い。
本物は事実を語る
偽物は空言を語る。
そう言うこと。
キマッタね!
以前、スピリチュアル系の人たちとツアーを組んで、三輪山に登ったことがある。
スピ系の人たち→ 頂上すごかった! エネルギーが違った!
筆者 → 途中の磐座。なんか空気違って、すごかった! 竜巻のような大風吹いてきた!
筆者以外は、全員、頂上を絶賛しており、途中の神籬の話をしたら、全員気づいておらず。
どっちが正しいのか、意見が分かれた。
私以外の全員が、全く同じ意見だったから、全員に白い目で見られたとです。
しかし、最近、わかったんです。
三輪山の中腹にある神籬は、古代の祭壇であったと言う資料を見つけました。
磐座からは、祭祀の祭具が出土してる。
つまり、筆者がすごいと絶賛した神籬は、祭祀を行う聖地だったとです。
大風がちゃんと教えてくれたとです。
ってか、風神、今もいるんかい!
自分の勘が正しいと裏付けがなされる。
調べること、盲信しないこと、大事だと思うよ。
じゃぁ、頂上を絶賛した人たち、なんなのさ!
人のこと、疑って、自分たちが正しいとマウントとって。
肝心な神籬をスルーして、頂上すげーって言ってたけど
本当にエネルギーわかってるのかな?
彼女たちの感性を疑ってしまいますわ。
こう言うことが起こる理由は、筆者が理系脳だから。
自分のお気持ちよりも、気分よりも、事実を重んじるからだと思う。
目に見えない世界を伝えるって、殊更難しい。
面白い話を好きな人に、いっときはウケるかもしれない。
ネタとして、再生回数は回るかもしれない。
でも、それではダメだ。
本当に信じてもらうためには、わかるように説明するしかない。
三輪山の神籬のように、考古学資料を探して、祭祀の道具を見てもらったら
そこが聖地だったと認識する。
それがないと、水掛論で終わる。
筆者は、コリンさんの話を、後世に残すことを考えている。
そのためには、あらゆる角度からの証拠が必要である。
神代文字とか、伝承とか、考古学的遺物とか。
そんなのを沢山提示して、判断してもらうこと。
本物と偽物の違い。
偽物は妄言を言いっぱなし。
本物は真実を言うだけではだめだ。
真実だと思えるように、経験と事実を積み上げて
わかってもらえるように、不断の努力を続けること。
本物とは、後世に事実を伝えることを主眼としている人だと思う。
その努力をきちんとやった人。成し遂げた人。
つまり、完成に至らず、前進し続ける人だと思う。
肝に銘じようっと。
ミツシュラでした