めかり神社と満珠干珠
コンタクトマンのミツシュウラです
興味深い投稿をみました
【和布刈神社の神事】当社では約一八〇〇年前の創建時より毎年「和布刈神事」を執り行っております。旧正月の深夜に神官が松明を掲げ海へ入り、鎌で和布・荒布(わかめ・あらめ)の海藻二種を刈り取る神事です。来年は一月二十九日午前二時より。一般の方のご見学可能です。#和布刈神社 #和布刈神事 pic.twitter.com/BVV2UZKLwI
— 和布刈神社(めかり神社) (@mekarijinja) December 7, 2024
和布刈(わかめを刈る)神社。
八坂神社の若の法被を調べた時に、若布からきているとわかりました。
宗像大社の奥宮、沖ノ島でも若布を刈って朝廷に献上しています。
若布と神事の繋がりのルーツは、福岡県にあるようです。
さらに、満珠、干珠に関しての記述があります。
これ、前から気になっていたのですよ。
どうやら、満珠島・干珠島に埋められたそうです。
WIKIで調べました。
忌宮神社の飛び地境内であり、祭神の神功皇后が住吉大神の化身である龍神から授けられた二つの玉、潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)から生まれたという伝説がある島。また、彦火火出見尊が海神より授かった潮満瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を両島に納めたという伝説もある。
住吉大社は宗像三女神を祀る、穢れを祓う神様。
龍神とありますが、おそらく水の女神アナーヒターだと思います。
出雲で調べていた時に、出雲人たちは珠に神が宿るとして、神事に使っていたそうです。
玉作りのルーツにまつわると思います。
潮が満ちる珠、潮が引く珠、=月の神様。
つまり、月の引力に作用する珠を神功皇后が扱っていた。
あれのことかしら?
さらに、忌宮神社の由緒を調べると
当社は、第14代仲哀天皇が九州の熊襲ご平定のために西下、穴門(長門)豊浦宮を興して7年間政務をとられた旧趾にあります。天皇はさらに筑紫(福岡県)の香椎に進出せられましたが、1年にして崩御せられたので神功皇后は喪を秘して重臣武内宿禰に御遺骸を奉じて豊浦宮に帰らしめ、現在の長府侍町土肥山に殯斂(仮埋葬)せられました。
そして皇后はご懐妊中ながら、熊襲を煽動していた新羅征討をご決行、ご凱旋ののち、天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭せられました。これが当社の起源です。
ここではちょうど昨日から、鎮魂祭的な神事をおこなっています。
12月7日の夕刻より15日の早暁まで、境内は二重のしめ縄を張り巡らせ諸人の参入を禁じ、神職は境内にて斎戒沐浴(心身を清め)忌(斎)籠りし、古式に定められた神事を行います。
15日早朝の御斎明けとともにしめ縄が取り外され、諸人の参拝が可能になり、11時より例大祭を斎行します。
仲哀天皇・神功皇后が新羅ご征討に先立ち、七日七夜の間に忌籠りをされて天地の神々に戦勝を祈願され、人民もまた大いに謹慎してひたすら神明の御加護を祈念したことから始まったという説、神功皇后が仲哀天皇の喪を秘して新羅をご征討、ご帰還後天皇の喪を発して神霊を鎮祭せられた時、人民ははじめて天皇の崩御を知り、追悼して七日間喪に服したことが始まりという説がありますが、大祭の前の厳粛な忌籠りで、御斎神事が明けて例祭が執り行われます。
出雲の祭祀(万九千神社など)にそっくりですわ。
七日七夜の斎戒は、ゾロアスターの神官の清めの儀式に由来していると思います
(書籍ゾロアスター教の悪魔祓いを参照)
この儀式が千八百年も続き、現代も残っているわけですわ。
すごいよね。
二重のしめ縄を張り巡らせるのも、ゾロアスターの由来でしょう。
前方後円墳が二重の堀に囲まれているのも同じですね。
悪魔が入らないように、結界を作っているわけです。
新羅征伐、熊襲征伐というのは、信仰神事だったのではないだろうか。
荒ぶる悪神を鎮めるために、善なる戦いをやったのでは。
そうなると、新羅の地域から前方後円墳が見つかったのも頷ける。
彼らは国を平らげて、善なる神を祀るために、征伐を行ったと思います
そのための神事だったのではないだろうか。
昨日から忌宮神社の斎戒が始まったのも、タイミングの神がなせる技W
いつか行って、満珠、干珠の謎を解き明かしたですわ
PS
平家と源氏の戦いの舞台でもあったようです。
源氏は清和天皇の家系、平家は外国人です。
この場所で争ったのも、意図があるのではないだろうか。
争いの時に天皇家の三種の神器の鏡が海に沈んだそうです