ホムチワケの火中出産はゾロアスター神話

ホムチワケの火中出産はゾロアスター神話

コンタクトマンのミツシュウラです

 

古事記にある、出雲のホムチワケの伝承。

 

火中での出生

『古事記』によると、名前の由来は稲城の焼かれる火中で生まれたので、母により本牟智和気御子と名づけられたとする。

母の狭穂姫命はその兄狭穂彦の興した叛乱(狭穂毘古の反乱)の際に自殺。『日本書紀』では反乱の前に生まれていたとするが、火中から救い出されたのは『古事記』に同じ。なお、垂仁天皇5年10月に討伐令が出されたが、稲城での籠城が翌月まで続き、そのため火攻めが行われたとされる。このため、『古事記』に従えば、誉津別命の誕生は垂仁天皇の5年11月に位置付けられる。

出雲大神の祟り

誉津別皇子は父天皇に大変寵愛されたが、長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、特に『日本書紀』では赤子のように泣いてばかりであったという。

『日本書紀』によると皇子はある日、鵠(くぐい、今の白鳥)が渡るさまを見て「是何物ぞ」と初めて言葉を発した。天皇は喜び、その鵠を捕まえることを命じる。天湯河板挙(鳥取造の祖)が出雲(一書に但馬)で捕まえて献上し、鵠を遊び相手にすると、誉津別命は言葉を発するようになった。ここに鳥取部・鳥飼部・誉津部を設けたとある。

『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では阿麻乃彌加都比女の祟りとする。それによると誉津別皇子は7歳になっても話すことができなかったが、皇后の夢に多具の国の神・阿麻乃彌加都比売が現れて、「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と言った。

そこで天皇は日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせた。建岡君は美濃国の花鹿山に行き、榊を折って鬘(髪飾り)を作り、ウケイして「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」と言った。すると鬘は空を飛んで尾張国丹羽郡に落ちたので、建岡君は同地に社を建て、また同地も鬘が訛って阿豆良(あづら)の里と呼ばれるようになったとある。多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、また阿麻乃彌加都比売は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる天甕津日女(もしくは楯縫郡神名樋山の項の天御梶日女)と同神とされる。天御梶日女は葦原色許男大神の子である阿遅鉏高日子根神の妻とされ、阿遅鉏高日子根神は『出雲国風土記』において、誉津別皇子と同じく大人になっても子供のように泣き止まなかったとする伝承が掲載されている。

 

 

はーい、ここでもゾロアスターエピソード満載ですよ。

(ゾロアスターの神秘思想)

ゾロアスターが赤ん坊の時から、何度も悪魔(呪術師など)が彼を殺そうとした。
赤ちゃんのとき、火中に放り込まれるが、母が助けた。
馬や牛の大群に入れられたが、家畜のリーダーが助けた
狼の巣に入れられた。狼の母親が襲い掛かると、ゾロアスターが狼を殴り、狼は口が聞けなくなった
二人の呪術師が家を訪れ、祭祀を行おうとした。ゾロアスターは断り、マントラで呪術師を殺した。
 ホムチワケの伝承によると、火中に入る、口が聞けなくなる、祭祀を行うなど、話がずれている部分があるが、大筋は一致している。
 これもゾロアスター由来なのだろう。
 続く

 

 

 

 

 

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