髪長媛は鮮卑の巫女か?
コンタクトマンのミツシュウラです
前回の記事で伽耶国から鮮卑族の墓が出てきたことを紹介しました。
遼寧省の鮮卑族の喇嘛洞墓地から出土した物とそっくりとのこと。
更に古墳時代に同地域と同じ銅鏡が日本に入ってきているそうです
喇嘛洞を調べると、奈良で共同研究されていることがわかりました
そこで興味深い論文を見つけました(中国語)
研究表明,萨满教(シャーマニズム)曾是北方民族中较为广泛流行的原始宗教
研究によりシャーマニズムは北方騎馬民族で流行した原始宗教である
现代的萨满仍保持了在衣 物上缝制各类金属物品的习俗,虽然未曾在其使用物品中发现铜人面饰,但在其"神衣"上 缝制的铜镜,位置与铜人面饰在人体附近的位置相当,推测铜人面饰的使用可能与此相似。
使用されたアイテムの中に青銅の人面装飾は見つかっていませんが、その痕跡は「神衣」にあります。シャーマンは衣服の上に金属物品を縫い付ける習慣があるが、銅の人面飾が使用物品に出現したことはない。しかし神衣の上に銅鏡を縫い付けており、銅鏡の位置は銅の人面飾と同じく人体の近くにあり、同じ用途と推測される。
"神衣"上的配饰的多少受萨满品级的影响[₉],
神衣の装飾品の数はシャーマンの等級に影響される。
不同墓葬中出土铜人面饰的数量也存在明显 的差异,
墓によって出土する青銅の顔飾りの数にも明らかな違いがある。
这表明二者也具有相似特征。与铜人面饰共出的铜或铜鎏金的鹿形饰也显示出较为 相近的特征,
この違いは、この 2 つが同様の特性を持っていることを示しています。銅人面飾と一緒に登場する銅または青銅で装飾された鹿の形の装飾品も、近い特性があります。
鹿形饰在墓葬中出土的位置多靠近墓主身体部分,而远离其他随葬品,这类较 为特殊的器物表明,其可能为特殊人群所有。
同様の特徴を持つ鹿の装飾品は、主に墓主の遺体に近く、他の副葬品から比較的離れた墓から出土します。
特別な器物を表明し、それが特別なグループの人々によって所有されている可能性があることを示します。
在喇嘛洞墓地中出土此类器物的墓主,可能为 该群体中的"神职"人员(图五、六)。
ラマ石窟墓地で発掘された墓の所有者は、おそらくこのグループの「神職」メンバーです。
文献中关于萨满的明确记载见于南宋徐梦莘的《三朝北盟会编》,其中提 到"珊蛮","珊蛮者,女真语巫妪也,以其通变如神"
「シャーマン」に関しては、「シャーマンは神のように変わる女真族の巫女です」と文献に書かれています。
在稍晚时候的新唐书中则提到了北方少数民族中的一种名为 "甘"的巫者,"祠神惟主水草,祭无时,呼巫为甘"[₁₁],根据学者的研究此"甘"(Qam) 在突厥语中的含义应为"萨满"即巫[₁₂]。
新唐時代後期には北方少数民族の一種として甘が巫女と言及されています。
「神を祀り水草を崇拝し、祭祀の時に、巫女を”甘”と呼びました。
研究では甘(Qam)は突厥語のシャーマン、つまり巫女を意味している。
ざっくりと訳しましたが、驚きましたね。
薩摩の由来は薩満からきているのではないかと思いました。
諸県の髪長媛は、鮮卑のシャーマンだったのかもしれません。
鹿の姿をしていたと記述がありますから。
水草を祀るとありますね。
したの写真は新田原古墳の巫女と神衣
南九州から沢山の巫女が幾内に嫁いだという話があります。
それって、鮮卑の巫女を呼んだのかもしれません。
なぜなら、鮮卑の巫女は、特別階級だから。
やはり神衣は、意味があったんですわ。
巫女の謎を解くと、ルーツがわかるも、然り
面白くなってきました
今回はここまで