ペルシア王から天皇にガラスが!
コンタクトマンのミツシュウラです
会員さんから驚愕の情報を頂きましたので紹介します
新沢千塚126号墳から出土したガラスの切子椀。
5世紀のものです。
製作地は不明であるが、皿の図柄などからササン朝ペルシャではないかと考えられている。
おやおや、ササン朝ペルシアが出ましたね。
さらに、正倉院にあるガラス椀もササン朝ペルシアで作成されたもの。
このガラス器に関しては、ササン朝ペルシアの王族から賜った物だそうです。
こちらの記事にあります
一部抜粋
さらに驚く話がありました。正倉院白瑠璃碗タイプは、ササン朝ペルシアの王が臣下の貴族や豪族に下賜するために作らせた非常に特殊な品で、基本的に売り物ではなかった、というのです。
質疑応答の時間を設けてくださいましたので、その根拠について質問してみました。氏は、推論であると断った上で、次のような説明をしてくださいました。
「古代オリエント世界では、伝統的に、王が臣下と会食する際は、食事が盛られた器まで分け与える習わしがあった。正倉院白瑠璃碗タイプは、イラン本国でも周辺国でも決まって古墳から出土するが、それら古墳の被葬者は、副葬品などから地方豪族あるいは部族長クラスと考えられる。」
つまり、生前、ペルシア王との会食を許された被葬者が、恩賜の白瑠璃碗を故郷へ持ち帰り、それが他の副葬品とともに墓に納まったのであろうということです。
おやおや
ただのガラスのお椀ではなかとです。
ペルシア王と会食した際にもらった物だと推測されています。
イランでも偉い人物の墓からしか出ていない最高級品。
しかも、安閑天皇陵(?)からも同じ物が出土しているそうです。
ササン朝ペルシアの王とどんだけ仲よかと?
ズブズブやん!
しかも、中国や韓国では同じタイプのお椀は出土してないそうですわ。
天皇陵と正倉院、同じ物が2個も出土しているとは一体なぜ?
記事の中では、お椀が日本に来た時期を予想していますね。
こちらの記事に予想が。
ササン朝ペルシアの最盛期はホスロー1世(531~579)
の時代に作られた完成形の切子椀ではないか?とのこと。
奈良盆地に巨大な前方後円墳が作られたのが、6世紀。
時期的には合っている。
ホスロー1世の時代にペルシアから大量の人がやってきて
玉造を拡大したんでしょうか。
にしても、わざわざ天皇がペルシアに行ったのでしょうか?
それともペルシアから王クラスの人物がやってきたのか?
あるいは、天皇がペルシアの王クラスだったのか?
16花菊紋が同じですから。
天皇とゾロアスターの祭司が、聖椀を授かった。
だから二つのお椀が日本にあるのでは?
どんどんめくれてきましたよ
続く