八坂神社と新羅とペルシアのつながり(追記あり)

八坂神社と新羅とペルシアのつながり(追記あり)

コンタクトマンのミツシュウラです

 

本日は八坂神社の祇園祭ですが

昨日借りてきた本にこんなものが載っていました。

(韓国 国立中央博物館の至宝)

新羅で発見された仏舎利682年頃)

既視感がありますね。

↓こちらは祇園祭のお神輿。

↑背中が(絹の最上品)なのだ。

新羅は絹の最上品をシルクロードで売っていた。

八坂神社由来

斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)を当地(山城国愛宕郡八坂郷(やましろのくにおたぎぐんやさかごう)に奉斎したことにはじまる。

八坂神社のお神輿を見た時に、お寺にある金の飾り物(天蓋)に似ているなと思ったんですよ。

身延山に行って、(おそらく日本最高峰の)佛天蓋を見てきたので。

だから、仏具だろうと思っていたところ。。。

新羅の仏舎利にそっくりですよ。

時代も同じですよ。

 

お神輿や山車として移動するのは、別の意味もあると思うのですが(アテがある)

やはり、八坂神社は新羅由来の神様であると思いました。

 

新羅の王様

 

 

もう一つ日本と新羅を結ぶ物を紹介

 

沖ノ島で見つかった指輪

↓新羅で見つかった指輪。

そ、そっくりですたい。

(ユーラシアの風新羅へより引用)

さらに、こちらはイラン出土のもの

ササン朝ペルシアは、配信で話た通り、パルティアのある場所。

シルクロードの中継地点で、シルクをローマに輸出していた窓口。

ササン朝ペルシアで出土したものが、新羅で沢山出ている。

上の写真の模様の中に、指輪と同じ模様があります。

 

沖ノ島の指輪、新羅の指輪、ササン朝の金の器

 

やはり、新羅とペルシア、ローマは直接取引を行なっており

返礼品として大量のガラスや金装飾品が届けられている

宗像大社も、呉から織物の女工を雇って機織りをやっていた。

シルクロードの織物ビジネスにいっちょかみ(笑)

 

牛頭大王(素戔嗚)も、そちらのつながりがありそうな気配。

 

とりあえず今回はここまで

 

ミツシュウラでした

 

(追記)

宗像大社のホームページに

ササン朝ペルシアのガラス製品(カットグラス碗片:国宝)が掲載されていました

(神々の美宝展)

宗像の海人の力がないと、シルクを持っていけないから。

シルクはどこで作っていたんだろうか。

 

東ローマ帝国(565〜578)

歴史家メナンドロスが(ローマは絹をどの民族よりも消費する)と

記録に残していたそうです。

日本の絹も消費されていたのかもね。

 

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