南九州の強力なシャーマンはケルト人だった!

南九州の強力なシャーマンはケルト人だった!

コンタクトマンのミツシュウラです

 

こちらのブログに衝撃の事実が。

応神天皇の嫁、髪長媛(諸県君牛)。

髪長媛は、日向諸県から船でやってきたという。

角のついた鹿の皮を、着物としていた

 

ええええええええええええええええええ!

け、け、ケルトやないかーい!

 

 

先日動画で見つけた古代ヨーロッパのバイキング

鹿のツノをつけた、シャーマンです。

 

元動画はこちら 19:00頃から

 

髪長媛は美しかった。

そりゃそうだ。ケルト人だから。

鹿のツノをつけた、シャーマンだったそうだ。

ケルト人確定っしょ!

新羅の王族もツノ

 

 

こちらは、同じくヨーロッパのバイキングの遺物

ツノの形になっている。

下は埼玉の埴輪。頭のつのがそっくりです。

シャーマンだと思われます。

(最大の円墳から見つかった埴輪)

 

 

ブログの話に戻りますが。

 

ブログ主の説によると

天孫降臨の話は、南九州の物部氏の話をもとにしていると。

だから日向なんだと。

古墳時代は、大王による共和制で、リーダーになるためには巫女を嫁にする必要があった。

奈良の橿原王朝は、出雲・吉備の巫女を娶っている。

しかし応神や仁徳は、南九州の物部氏から巫女を娶っている。

強力な霊力、権力、財力などがあった。

南九州から河内国に神武天皇(物部)が移住してきたため

河内国の仁徳天皇(世界最大の陵墓)が爆誕した。

 

そう考えると、仁徳天皇陵が、盾の形に見えてきたW

応神や仁徳天皇が権力を広げて天皇になれたのは

(新羅と戦えたのも)南九州の物部勢力のおかげ

 

だとしたらば、ケルト、シャーマン、軍事力、船

巨大な力を持っていたことになりますわ。

バイキング(海賊)の王だったとしたら、納得。

 

とりあえず今回はここまで

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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