奈良散策 その3

奈良散策 その3

コンタクトマンのミツシュウラです

 

奈良散策 二日目の続き

枚岡神社(一ノ宮)に行きました。

 

かなり古い神社で、創建は皇紀前まで遡るそうです。

神武天皇が東征する時に、天児屋根命・比売御神の二神を祀った。

霊地神津嶽(かみつだけ)に一大磐境を設け祀られた

 

筆者の実家は、神武天皇の生誕地(伝承)、神武天皇のふるさとと呼ばれております。

神武天皇は、親戚みたいな感覚(笑)

ええ? 神武天皇は天児屋命を祀ったの? マジっすか?

大変驚きました。

 

天児屋根命は中臣家の祖先。

「神事をつかさどる宗源者なり」

枚岡神社は、大和朝廷の祭祀をつかさどった中臣氏の祖神とのこと。

(中臣家はコリンさんのご先祖様)

 

そりゃ行かなくちゃと思って、参拝してきました。

したらば、春日大社とつながりがあるとのこと。

その後調べてみたら、興味深いことがわかりました。

 

奈良の春日大社は、768年、称徳天皇の勅命により創建されました

西暦710年に藤原京から遷都し、奈良に平城京が作られています。

しかし、聖武天皇はこの時期遷都を繰り返しています。

 

740年に恭仁京(京都)

744年に難波京(大阪)

745年に紫香楽京(滋賀)→ 天平地震

745年に平城京(奈良)

 

ブレブレですね

なぜ都を何度も移したのか?

その時期に地震があったからでしょう。

続日本紀には、734年に地震の記録があるそうです。

「大地大いに震い天下の民衆の家が倒壊し圧死者が多数出、山崩れ、川の閉塞、地割れが数えきれないほど発生した」

春日大社(768年)に鹿島・香取神宮の神を呼び寄せた理由は、地震対策だったのでは?

なぜなら、要石という地震を抑える石が両神宮にあるからです。

要石の引用文

『古伝によればその昔、鹿島神宮の武甕槌(タケミカヅチ)神、香取神宮の経津主(フツヌシ)神の二柱の大神は天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、常陸・下総付近に至った。しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。

これは地中に大きな鯰魚(なまず)が住みつき、荒れさわいでいるせいだと言われていた。大神たちは地中に深く石棒をさし込み、鯰魚(なまず)の頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。(その石棒が要石と呼ばれる)

 

地震が頻発していたので、都の近くに春日大社を創建し、地震に強い神を呼び寄せて。中臣(藤原)家に祀らせた。

それが春日大社の由来ではないでしょうか?

藤原家は、古代から地震を抑える神の祭祀の血筋なんですね。(笑)

歴史はちゃんと証明してくれますね。

 

枚岡神社に戻ります。

 

こちらの神社はすごくよかったです。

ちなみに生駒山も地震の断層があり、地震がきていたみたいです。

だから祀ったのか?

 

続く

 

 

 

 

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