如来は宇宙の友である
コンタクトマンのミツシュウラです
昨晩のライブは神回でしたが、削除しましたので、この記事でまとめます。
(法華経の話)
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(序品)
遠い昔、月と太陽からなる燈明(日月燈明)という如来が出現した。
最も勝れた輝きを持つもの(妙光)という菩薩に説法した。(後々の文殊菩薩)
白蓮華のように最も勝れた正しい教え(法華経)と呼んだ。
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要約すると、日月燈明(如来)が文殊菩薩に法華経を伝えた
(未来成仏の予言)法師品
釈迦は八万の菩薩たちに話しかけた。
この集会にいてこの法門を聞く菩薩たち(四衆)は全て正しく完全な悟りに達するであろう。
釈迦の入滅後、この法門を受け入れる善人たちも、正しく完全な悟りに達するであろう。
善人たちはかつてブッダに仕え、衆生を憐れむために人間に再び生まれてきた者たちと知られるべきである。
衆生の中で未来において如来になるのは、法門の中からただの一つの詩でも受持し、聞かせ、示し、尊敬する人である。
説法者は尊敬されるべき
汚れた心、邪悪な心、凶悪な心を持ち、如来に非難の言葉を言う人(説法を聞かない人)
説法者(法師)にも不快な言葉を一言でも告げる人は、(説法を聞いてから悪意を向ける人)
後者の方が悪しき行為である。
この法門は受け入れ難く、信じ難い
この法門は全ての人にとって受け入れ難く信じ難い
この法門は如来が存在している時でさえ、多くの人によってそしられた。
如来の入滅後は言うまでもない。
釈迦の入滅後、この法門を説くものは、如来の衣で覆われている。
彼らは他の世界にいる如来によって見守られ、守護される。
個々に浄信の力、善い果報をもたらす立派な行い、誓願の力が生じ、如来と同じ精舎に住むであろう。
彼らは如来の手で頭を撫でられるものとなるであろう。
その人が荒野に行ったならば、この人のために多くの神々、龍、その他大勢を(法を聴聞するために)派遣するであろう。
他の世界にいる私は、その人のために顔を現すであろう。
(釈迦入滅後の弘教の困難)
釈迦の入滅後、極めて恐ろしい後の時代に、この経を受持し語るならば、極めて困難なことである。
(あらゆることと比較して最も困難なのが)この経を受持し、人に伝えることである。
この経を受持する人は、勝利者の身体を受持することになるだろう。
彼らは世間の保護者たちのために、偉大なる行為をなしている。
誇りある英雄であり、速やかに神通を得て、悟りを得るであろう。
この経を受持する人は、衣食住の貪りや欲望を払い捨てて、清浄に修行に励む人である
心を調伏した境地(淳善地)に到達している人である。
釈迦入滅後、一瞬でもこの経を説き示す人は、賢者であり、賞賛されるべきである。
(未来成仏)見宝塔品
未来の世において、法華経の中のこの章を聞いて、疑わず、清らなかな心で信順する人は
三つの悪しき境遇(地獄や畜生界、餓鬼界)に生まれ落ちることはないであろう。
神々や人間の世界に生まれて卓越した地位を獲得し、ブッダの国土において如来の面前で紅蓮花の中に生まれるであろう
ここからが、ミツシュウラの考察。
釈迦と如来の関係は、コンタクトマンと惑星の指導者と同じ。
法華経に関する話は、筆者には非常にわかりやすいです。
(地球の友には馴染み深い話)
釈迦の入滅後、法華経を伝える法師は、非常に貴重でありかつ
教えを広めるのは困難を極めると言うのも、実体験からよーーく分かります。
だからこそ、法師や信者は、如来から守られ、成仏が約束されている。
まるで、宇宙の友と地球の友の関係性そのものです。
真っ直ぐ信じた人には、開かれる如来の世界。
疑って、批判をする者は、閉ざされる世界。
如来ですら、人間を導くことはできません
如来は、菩薩や善神のみに法華経を伝えました。
悟ったふりをする増上慢は、去りました(笑)
如来を信じた者達が、教えを授かったのです。
自分で悟ろう!は、小乗仏教です。
如来は(小乗仏教の乗り物)には乗らないと書かれてあります。
エセスピのいる場所には、善神は立ち寄りません(笑)
法華経には、如来が降臨する未来が書かれています。
配信では、如来(南無の世界の指導者)が降りて、指導するのではないかと言いました。
如来が指導する人は、ほんの一握りだと思いますが
地球の友は、きっと会えますね
如来も宇宙の友だから♪
ミツシュウラでした