日田の鏡は始皇帝の占い師の鏡か?
コンタクトマンのミツシュウラです
日田市で見つかった鏡が卑弥呼の鏡ではないかと言われています。
卑弥呼の墓と言われる唯一の理由は、曹操の墓から出た物とそっくりだからです。
(こちらは曹操の墓から出た鏡)
曹操は魏の時代なので、卑弥呼と同時代になります。
これだけが根拠ですわ。
しかし、最近読んだ本では鏡は秦や漢の時代に作られた物と書かれていました。
そこで筆者はぴーーんときました。
丙戌32 年、始皇帝の碣石(燕の属地)、燕人の盧生を使わして羨門(仙人)を探させ、碣石门を刻んだ。
盧生は海から戻ると、因奏《記録書》(予言書)にて;秦を滅ぼすのは胡であると報告した。
始皇帝は蒙恬将軍に30万の軍隊を送るよう命じた。北の匈奴を攻撃した。
歴史書によると、始皇帝の命令で蓬莱山に行ったのは、徐福だけではありません。
燕人は墓を掘り、不老不死の妙薬を突き止めて(水銀)、海の向こうの仙人と通じていました。
海の向こうの仙人は未来を見ることができたので、秦滅亡を予言したようです。
海の向こうの仙人は、日本にいたのではないだろうか? というのが筆者の予想です。
日田で見つかった鏡は、始皇帝か燕人が授けたものではないだろうか?
その理由は、大分県にある水銀と、邪馬台国の卑弥呼が用いた鬼道(占い)です。
水銀は不老不死の妙薬として燕人が用いていた物であり、宇佐や香春など大分県にありました。
ちなみに、鏡が見つかったと言われる日田は、日本最大の金山があります。
しかし、曹操の時代とはあいませんよね。
そこで筆者は思ったのです。
曹操は戦争をした時に奪ったのではないかと。
すると、それを裏付ける記事が見つかったのですよ。
曹操は古墳を強盗し、25万平方メートルの面積に及ぶ金、銀、宝石類32台の荷車を持ち去った。
江蘇省で見つかった漢の王族の墓は王刘非の物と専門家が断定した。この墓は沢山の盗掘にあっており、曹操も金銀財宝を奪っていったのだが、ついに墓から出てきた遺品から持ち主が特定された。
この記事によると、曹操は墓荒らしだったそうです。
曹操は沢山の墓を荒らして奪っているため、あるいは戦争で勝ったら強奪したわけですから、卑弥呼と同時代の鏡も盗んだ物の可能性があります。実際、曹操の墓からは沢山の金銀財宝が見つかっています。
記事の墓は漢の時代ですが、墓の主は武帝の親族だったそうです。武帝も仙人を探させに人を何度も派遣しています。
ですから、日田で見つかった鏡が秦漢の時代の物であれば、邪馬台国の卑弥呼の物ではないこととなります。
鏡が作られた年代と場所が特定されれば、明らかになると思います。
ミツシュウラでした