重荷から解放されるために仕事をすると・・・

重荷から解放されるために仕事をすると・・・

コンタクトマンのミツシュウラです

 

少し前の記事にて、グッズの作成する日は運命で決まっているという話をしました。今回はその補足です。

 

例えばグッズの注文がきたら、早く仕事しなければと思い、なかなか進まないと焦るのです。

 

早く作成して、お客さんに送らなければという意識で仕事をすると、仕事が終わったら、ホッとして安堵します。肩の荷が下りたからです。苦情を言われなくて済むから。

 

でもこの仕事のやり方をすると、安堵はするけれども、また次の仕事がくるので、仕事がどうしてもやっつけ仕事になってしまうのです。とにかく早く送ってしまわなければと焦って重荷から解放されるために、やっているわけです。

 

しかし、この状態でも我慢して、日が来るのを待っていると、ある日今日は書き上げようと意欲が湧いて来る日が来るのです。よかった、やっと仕事が終わると胸をなでおろすだけでなく、心が軽やかで、全てが整って、完全に集中して楽しくやれるのです。

 

例えると、運動会の当日みたいな感じです。天気は快晴で、準備は整って、あとはみんなで団結してその日に臨むみたいな弾む心と清々しさです。そこにようやく責任が果たせるなという安堵感からくる喜びも入るのです。

 

どういうわけか、書く日になると、テキパキとかすんなりとことが運んで、体が軽くさっさと終わるのです。

 

そして付け加えますが、コリンさんはグッズの注文が入ると、コリンさんに告げなくてもわかっていて、注文きたでしょう?と聞くことがあります。わかっているのです。上の世界は見ているから(笑)

 

だからグッズを書く時は、筆者とコリンさんだけでなく指導者も立ち会って仕事をしているので、大勢で仕事をしている感覚があります。みんなで一致してやっている状態。大勢で仕事をすると一人でするよりもはかどったり、力がみなぎったりするじゃないですか? あの感じです。

 

 

だから終わった時は、よかった!という満足と悦びが心から生じるのです。

 

この心の喜びは、やっつけ仕事が終わった時の安堵とは違っていて、爽快でよかった!と心が広がっていく感覚があるのです。これに責任を果たせたという安堵も加わるので、楽しくて余韻が残る感じです。

 

例えていうと、やっと仕事が終わった、いい仕事ができた!みんなで飲みに行こうか!というノリノリの状態。

 

それが仕事から得られる心の悦びなんだろうと思います。

 

それを感じれれず、やっつけ仕事を続けていたら、人は悦びを感じられなければ、仕事が嫌になってしまい、煮詰まって来ると思います。同じ仕事を延々とこなし続けてしまったら、責任と重荷の解放の狭間で心が疲労します。

 

ギスギスして、まだなの!と急かしたり、こっちはやっているんだよと反発したりして、ぶつかったりするのですね。

 

でも、仕事自体が悦びであれば、良い仕事は伝わるし、お客さんからは喜ばれますし、行き違いがあったとしても、揉めることはありません。催促されたり、脅されたりすると、重圧を感じてしまい、そこから逃げるために仕事をすることになります。

 

だから人間社会があまりにもルーチン化されてロボットされてしまったので、悦びを感じることが少なくなったし、これからもますますロボット化されると、ますます急ぎで片付けなくちゃという義務と重荷からの解放になっていくと思います。

 

人間には心があるから、心の悦びは満足感や次の仕事のエネルギーになります。

 

無意識にやっていたことなんですが、改めて考えて見たら、こういうことだったんだなと思って記事にしました。

 

いい心のつながりでこれからも仕事をしていきたいと思います

 

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

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