時代が変わると価値観も変わるが
コンタクトマンのミツシュウラです
筆者は昭和40年代生まれですが、家庭の都合で子供の頃は東京の下町で育ちました。
自分の親の世代は、学校を卒業すると、夜行列車に乗って、東京などの都会に集団就職をして、なんとか食べていた時代です。
その世代(団塊)の価値観は就職難だったので、都会で生き抜くために、いい学歴をつけていい会社に就職し、安定したいという考えの人たちが多かったと思います。だから幼稚園の頃から塾に行かせたりして、都会の子供たちは毎日習い事や塾に通っている子供が多かったのです。
筆者の両親の兄弟たちも、地元を離れて都会に出て結婚してそれぞれに家庭を築いていましたが、その多くは自営業であったので、わりと裕福な暮らしを営んでいました。家族で事業を営んでいたので、家も大きく、泊まる部屋も沢山あり、家族で泊まってもまだ広々しており。
自営なので自由に休めるため、家族で訪れると2泊して、ご馳走を食べさせてくれたり、遊びに連れて行ったりしてくれました。
泊まりに行くと、刺身の活き造りや高価な果物がたくさん出てきて、当時はまだ贅沢だったフランス料理のフルコースは食べたりしていました。しかしうちでは食べなれないので、マナーができなかったり、残して怒られた記憶があります。(しつけに厳しかったから)
お盆や正月になると、祖父母の顔を見に東京から九州に里帰りするのですが、新幹線で移動しながら、静岡、名古屋、広島によっていたので、一週間くらいの長い旅をして九州に戻っていました。広島の親戚は農園をやっているので、広い敷地を遊びまわり、美味しい果物を沢山食べさせくれました。
その当時は高度成長期だったので、うちの父親も建設業だったのですが、大手の建設会社の下請けの会社で働いており、仕事が決まったら何年も続くので、一家の大黒柱であった父は、親戚ほどではありませんが、結構稼いでいました。
父は働き者だったので、建設会社の支店長から直々の指名が入っており、職人として安定した仕事をしていたので、それなりの自信も持っていました。好きな物はなんでも買ってくれました。
そんなわけで、うちの家族や親戚の価値観は、サラリーマンは貧乏だという考えであり、自由に休めず安月給で自由に使えるお金がないと考えていました。
うちの家族だけでなく、その当時の日本はまだ成長期だったのですが、大きな会社は今ほどなかったので、会社で勤めでも安月給の人が多かったと記憶しています。一戸建ての家など夢のまた夢で、サラリーマンの悲哀みたいなドラマなどもあったりして、上司に頭が上がらないなどで苦労する印象があったように記憶しています。
都会に出て苦労した人たちは、貧困から脱出するためにと、いい教育を与えて、いい大学に出して、末は博士か大臣か、あるいは先生や医者になったら一生安泰という考えの人が多かったと記憶しています。今のように会社員になって、定年まで勤めたらいいとは、言わなかった時代でした。
しかし、高度成長期を迎えて、アメリカとの貿易収支も上がり、国際社会での安定した地位を築いた頃には、世界で活躍する大企業が次々と誕生し、テレビの影響もあり、いつの間にか一流大学を出たら、一流企業に勤めるという神話が生まれて行きました。
たった20年で世の中の価値観は大きく変わって行ったとです。
筆者の生まれた頃に学生運動が盛んで、モラトリアム世代が生み出されたのですが、多くの若者たちは社会に出たくない考えが多かったと記憶しています。戦後の政治や社会に対する強い反発があったので、葛藤していた人が多く(香港の若者のように)デモをやったり、大学に立てこもって戦ったりしていたのですね。
余談ですが、友人の父親は三島由紀夫さんと親交があり、自殺をした時に数人で駆けつけていて、現場でみた話をしてくれました。大きな権力にたち向かって、散って行った若者が大勢いた時代です。
しかしその時代がガラッと変わったのは、会社勤めをしていた人たちが、(戦後世代)大いに頑張って、二度と戦争に巻き込まれないために、魂をかけて頑張り抜いて技術立国となり、国の経済が景気が良くなったから。
その結果、日本が経済発展していったので、経済戦争に勝った日本は失った自信を回復し、傾聴風靡とバブル拝金主義の時代に入ったのです。
筆者が学生時代は、ブランド物のバッグをみんな持っていて、学生ローンで10、20万のブランドファッションをまとい、ディスコで踊り狂っていました。ユニクロのような安物を着ようものなら、ダサいと言われて相手にされなかった時代です。
会社の先輩たちの話を聞くと、銀座で100万使ったとか、ボーナス数千万とか、あったらしい。普通のサラリーマン達が100万のバッグとか高級車とか普通に持っていた時代です。今の中国よりは規模が劣るけど、海外で日本人が爆買いをしていたのですね。みんなどこかがおかしかったのですね。
筆者が就職面接をする年まではまだバブル崩壊前でしたので、詰め込み教育の果てにいい大学に行った友人たちは、面接をすると企業から交通費と称してお金がもらえるため、東京などに面接に行って、大金を稼いでいました。面接するだけですぐ内定をもらえて、一社5万円くれた時代です。それで新車を買った人もいました。
しかしその翌年からバブル崩壊となり、長期にわたる不景気と就職難が始まり、日本はどんどん力をなくして行きました。バブル不況で就職難となった世代から下をロストジェネレーションというそうですね。安定した基盤が構築できず、派遣で食いつないできた人たちの老後が心配されており、政府も支援策を検討していると聞きます。
筆者は半世紀にわたって、日本がまだ貧しい時代から、経済成長して世界大国となり自信を持ち、しかし経済崩壊とともに貧困層が出てきた過渡期を見てきました。
あんなに景気が良かった時代から一転して、給料がカットされ、残業代も出ず、ボーナスが出ないとか、派遣切りにあったりと、過酷な労働条件で働かさせる厳しい時代です。
まさかロボットに仕事が奪われるなんて、考えられませんでした。(涙)
今や4割が転職するそんな時代だそうですね。ちょっとびっくりしております。
若者たちが企業離れするのも仕方がありません。
これも景気の変動による時代の流れ。
今の若者の親は、筆者と同世代です。若い時はいい企業に就職して、海外転勤でいい生活をして、沢山の出張手当などが出て、大きな仕事を手がけて、すごいねと言われた世代ですので、一流企業に就職しなさいと子供に言ったに違いありません。(知らんけど)
しかしわずか20年で、企業はリストラの時代が到来し、終身雇用は崩壊し、サラリーマンも副業で生計を立てる時代になりました。
世界的な景気低迷の結果として、余裕のある自営業になりたいと、多くの人たちが起業や副業を真剣に考えており、一周回って結局は昭和40年代に逆戻りしているのであります。(笑)
オーマイガー!
うちの父親の時代は、戦中戦後を生き抜いていますので、自給自足が当たり前でしたから、子供の頃から自給のための農業は当たり前の時代。
今の若者達も、サラリーマンより農業を希望する人が多いと聞いています。
不況になっても必要な業界ですから、食べることが確かである農業は、近年かなりフューチャーされているようです。
結局は元に(昭和時代に)戻っただけじゃん!
などと、筆者は考えるわけです(笑)
半世紀で時代が変わったように思いますが、自然界と共に生き続ける人の暮らしは、ずっと変わりません。都会にいた人たちが時代に流されて気づかなかっただけであり、時代や空気をよまずとも、一年の季節の流れに沿って自然につながり生きている人たちも大勢います。
本当は、自然界から恵を得て、食べ物を分けてくれる人たちのおかげで、みんなが生きていられるのです。
人は、自然の恵みから作物を得て、生きているのです。お金などなくても生きられるように自然の仕組みがなっているのです。
時代や空気を読まずとも、天気を読める力あれば、自然から恵を得ることができます。
自然はすでに与えてくれるのです。
ここにも真の喜びがあります。
自然の恵みに気づいた人たちは、生きることに迷いや不安を感じたり、将来に苦悩することはないのかもしれません。自然に喜びに導かれて、笑顔で過ごせるのです。
ただ美味しいと言って、お互いに笑っていられるから。
どんなに集めても、お金自体は食べられませんから、お金だけがあっても人は生きてはいけないのです(笑)
宇宙世界は今日も平和です
ミツシュウラでした