本当の自分を探している全ての人へ

本当の自分を探している全ての人へ

コンタクトマンのミツシュウラです

 

これから書く内容は、筆者にとっては少し難しいのですが、なんとか描いてみます。

 

読む方達には、おそらくは理解されないだろうと思っています。

 

理解されない理由は、体験がないことだからです。

 

それを踏まえて、読んでくださいね。

 

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筆者は、生まれる前の世界のことを完全に覚えています。

 

これは厳密にいうと、生まれる前の意識が、生まれてからもあるということなのです。

そして生まれる前の世界の意識や価値観を、自分の中にずっと保持し続けているということです。時々忘れることもありますが、ずれると、必ず何らかの修正が入ります。

 

生まれる前の意識を、普通は持っていないので、みんなは、生まれた後の意識しか持っていません。

 

生まれた後の意識を、自分と言っています。その自分で話をするから、悩んだり、不足感を感じたりして、ずれるのです。

 

もし人が生まれる前の意識を思い出したら、ショックだろうなと、子供の頃から内心思っていました。それくらい、違うものだからです。

 

ここでは、わかりやすいように、生まれる前の自分を、本当の自分と定義します。

 

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筆者は、物心ついた時から、赤ちゃんの意識ではありませんでした。

 

大人の意識でもありませんでした。

 

生まれる前の意識(本当の自分)の意識を持っていました。

 

そのため、母親は、この子は人と違うと言って、筆者にいろんなことを聞きまくっていました。

 

筆者は、こちらの世界になじむことが難しかったのですが、生まれる前の世界の人たちがそばにおり、困った時に色々と教えてもらっていました。

 

教えてもらわなければわからないほど、生まれる前の世界と、こちらの世界との差が激しかったからです。

 

例えば向こうでは、テレパシーが通じており、なんでも心にあることを話しましたし、話していいことと、いけないことなどはありませんでした。

 

また一切の悪意が存在せず、お互いへの親しみが半端なくて、誰もが人懐こくて、それは人間にはない感情です。(人間には他者への親しみがほとんどない)

 

ここが一番戸惑いました。

 

あるとき、私が姉が言った話を、客人の前で話したら、客人が戻ってから怒られました。

 

その時に、ポカンとしてしまいました。

 

なぜ怒られたのか、わからなかったからです。

 

話したらいけないことというのがない世界から来ているので、わからなかったのです。

 

そこが人間の持っている、他者に心を隠すという、不思議な側面だったと、大人になるにつれて学習しました。

 

今でもそうですが、筆者はこの人生の中で、人に誰にも打ち明けたことがない話を聞くことが多いです。誰にも話せなかったとか、あんただから話せたんだよとか。知らない人からもよくされていました。

 

これは、筆者の中に、他者への悪意が全くないからです。

 

それを感じる人は、なんでも話をしてくれます。

 

しかし、他人を信じられない人は、それができないようです。

 

自分の中に悪意がある人は、人を信じられないのだと思います。

そんなことは思ってないのに、そう思っているやろう?と、決めるける人たちがいますが、本人の意識の問題なんですね。

 

つまり、ここで強調したいのは、話したらいけないことというのは、生まれる前の世界にはなかったのです。そして誹謗中傷されることもなく、みんなが当たり前に、笑いながら、親しみがあるので、逆になんでも心おきなく正直に話せるわけです。

 

その結果として、悩みや苦しみがないのです。

 

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多くの人は、自分がわからないといいます。そして迷います。

 

それもそのはずと、筆者は思います。

 

筆者は、幼少期にすでに自分のことが見えていました。

 

4歳の頃にこっちの世界には、宗教というのがあるとわかったのですが、その時に筆者は次のように思いました。

 

それは素晴らしいことだけど、自分には戒律や規律を守るなんて無理だわ(笑)

 

自分の性格が自由奔放だと、わかっていたので、毎朝起きてお経をあげてとか、無理だとわかっていたんですね(笑)

 

しかし、こちらの世界の人たちは、宗教をバカにしたりする人が多いですけれども、筆者は他者に対しての悪意がないので、宗教を否定する意識がないです。

 

他者を否定する意識自体、こちらの世界の住人にしかないとわかっており

 

仕方がないと思っています。(仕方がないと完全にわりきれるってこと)

 

 

話を戻しますが、多くの人たちが、自分をわからないと感じていて、不安であったり、心もとないという感覚の正体は、生まれる前の自分を覚えていないからだと思います。ただしこれは記憶ではなくて、自分の意識とは違う、本質の意識の話。

仏教にはいくつかの意識があって、阿頼耶識とか色んな言葉があるんだけれども、筆者が話している生まれる前の意識というのは、おそらくどれかに当たると思います。

 

しかし、それが原因で、いくつかの問題が発生しており、それ、ちょっと違いますよと言うために、この記事を書いています。

 

そのいくつかの問題というのは、スピリチュアル界隈の迷走が示す通り、多くの人たちが、妄想や空想によって、本当の自分を作り出してしまっているということ。

 

ハイアーセルフ、大いなる自己、創造の源、本当の自分、神意識、などなど。

 

つまり、本当の自分というのものを、勝手な想像でイメージや印象を作り出してしまっており、そこと自分を重ね合わせようという、無駄な努力をしてしまっているということです。

 

別にそれも良しと思ってはいますが、ちょっとそれ違うけどねと、本当の自分を意識として保持しているので、そこは違うよと言いたいだけです(笑)

 

聖なる自分 神聖な自分

 

そんな崇高な感じではないのよ。

 

それよりも、もっと親しみやすいと思ってもらいたい。

 

今よりずっと悪意がなくて、他者に対しての親しみしか存在しない。

 

これが本当の自分なんだよと言いたい。

 

そうしたら、その意識は誰でもどこかにあるから、心の底が反応すると思うのよね。

 

赤ちゃんがそうですよね

 

人を見かけたら、あっと笑いかけて、向かっていきますよね?

 

それそれ(笑) それが本当の自分やからね。

 

 

宇宙トンボちゃんも、人懐こくて、親しげですよね?

 

 

だから、訪れたら、心に嬉しさしか残らないのよ。

 

 

なんか崇高とか、神聖とか、想像の自分を作り出すのもいいけれども、その人が幸せになりたいと思って、頭ひねって作り出しているのだろうから。(笑)

 

でも、本当の自分が見つからないって悩んでいる人がいたら

 

他者に対する、親しみだよ!って言いたいのよね。

 

 

そこに向かえば、本当の自分からはずれないと思うよ。

 

人と仲良くしたいというのが、人間の本質だから。

 

 

 

そして宇宙もそういう世界だよ。

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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