理想と現実の空間の違い

理想と現実の空間の違い

コンタクトマンのミツシュウラです

 

今回の記事内容は、説明しようと思ったら、本が一冊かける内容なので、この記事だけで伝えることは到底無理だと思います。

 

しかし、頑張って肝心な要点だけでも表現してみようと思います。

 

すごく大事な内容なのでね。

 

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最近、はっと思ったのですが。

 

筆者は、極めて現実派なんだなと。

 

現実派とは、つまり、現実世界に生きていて、理想に逃避していないということ。

 

たわいもない現実が、すごく面白くて楽しいから、理想に逃げる必要がない

 

多分、子供の頃、毎日が楽しかったからだと思います。

 

例えてみると、自然の中で育った雑草ですね。

 

破天荒な野生児ばかりだったので、学校もめちゃくちゃ楽しかった。

 

風邪ひいて学校に行けない日は、下校時間になったら、友達としゃべりたくて、外に出て行きましたからね。不登校とかが、あり得ない環境だった。

 

自分が出せなくて、モジモジと悩む子供でもなかった。

 

それが私の原型にあるのかなぁ。

 

***

 

この世には現実派と理想派がいるのではないかと思ったんですよ。

 

理想派は、現実をありのままにいるのが困難で、常に理想を求めている人。

 

例えば、理想のパートナーを求めて、それに合わない人を排除したり

 

パートナーにも、こうあってほしいと、自分の理想を押し付けたりして

 

結婚したら、こういう家庭を築きたいとか、子供を何人作って、こういう家庭を作りたいとか

 

最初に理想ありきで、それを無意識で追求しているタイプの人。

 

理想に合わなかったら、家族や周囲の人にそれを押し付ける人もいるのかもしれない

 

言い換えると、自分の理想や思い通りでなかったら、ストレスや失望が出てくる人

 

で、このタイプの人は、理想派と定義します。あくまでも例えとしてね。

 

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私は子供の頃から、一切、理想というものがなかったよな。

 

それよりも、現実派だったと思う。

 

つまり、現実に自分を適応させて、合わせていくタイプ。

 

多分、子供の頃に2回引越しをしており、その度に、環境にも適応しなければならなかったからだと思う。言葉とか、知らない土地の風習とか、生活スタイルとかが、ガラッと変わってしまうことがあったからね。

 

合わせることに必死だった。

 

つまり、現実の側に合わせていくということを、強いられたから、こういう性格になった。土地によって人の考えも生活も変わるとわかっているから。

 

自分を合わせるということは、変えていくことだから、これは大変なことだと、身を以て体験している。

 

でも、適応したら、楽しさも喜びも、待っている。

 

それも知っている。

 

自分の世界が広がる喜びさ。

 

自分の能力だって、広がる喜び。できることが増えるわけだから。

 

同じ環境にずっといたら、わからない、知れないこと、自分の力も自然に育っていくということ。

 

例えば、東京に子供の頃から住んでいたから、新幹線も飛行機も乗って旅をしていた。

だから私はどこにも一人で行けるし、車窓を見て、色々と楽しむことができる。

 

海外だって、一人でスイスイ行ける。

 

なんなら、そこに住むこともできる。

 

通行人に話しかけて、助けてもらうことも、当たり前にできる。

 

子供時代に東京に住んでいた時と同じ。

 

まぁ、現実に合わせていくのは、大変だけど、面白いし、子供の頃から自然に無意識にやっていたのが、今ならわかる。

 

***

 

理想派の人って、意外にいる。

 

いい学校に行って、いい仕事について、いい人と結婚して

 

こんな人と結婚して、こんな子供に育って、あれやこれや。

 

でも、自分の理想に合わなかったら、腹を立てたり、ストレスを抱えたり。

 

今の現実がつまらない、つらいからと言って、空間を変えるために、旅行に行ったり、知らない世界の人たちに会いに行ったり。

 

でも、最後に戻ってくるのは、自分の生活空間だけどね(笑)

 

私は、自分の生活空間が、一番ホッとするし、楽しいし、心が愉快になる。

 

外に行くと、色々と疲れるし、環境に適応するのに、すごい力がかかる。

 

でも、それをしないと、自分の新たな側面も育っていかないこともわかる。

 

だから、挑戦し続けるし、誰かに会いに行くし、それが結局、生きている実感や、力の源にもなっている。

 

どっちも、大事だと感覚でわかってるのよね。

 

***

 

結局ね。

 

自分のいる現実が楽しくないと思ったら、楽しくすればいいのよ。

 

ただそれだけ。

 

それは、筆者は子供の頃からやっている。

 

周りの大人や子供たちがやっていたように。

 

 

でも、現代社会では、自然と離れている人が多くなっていて、隣の人と会話する環境にない人たちもいて。家と仕事の往復だけの人たちもいる。それもある。

 

自分の現実がつまらないから、いろんなものを取り入れようと、ネットやメディアを屈指して、色々とやっている人たちが大勢いる。

 

でも、それって本当に楽しいのかなと、実は筆者は思っているし、筆者は楽しみは現実の暮らしから得ている。それでテンションが上がって、ネットに書いたりするのよね(笑)

 

理想を追っている人がいたら言いたい。理想っていう世界は、頭の中だけにしか、存在しないから(笑)

 

現実の方が、もっと面白いし、未知なる発見が多いから、得られるものが多い。

 

隣の人と喋ったら、意外な話を聞けて、参考になったとか、山ほどある。

 

思った通りの人と違って、面白い人だったってのも、多々ある。

 

でも、話さなければ、永遠にわからない。

 

 

 

筆者は、人生に絶望して、まさにどん底の人と話をしたことがあって

 

その時に、昔聞いた冗談をふっと思い出して、その話をしたら、

 

相手が笑ってしまって、どん底に入れなくなってしまい、二人で大笑いした(笑)

 

そんなことも結構あるのよね。

 

その人から、おもしろい話を聞いていたからだよ(笑)

 

***

 

現実がつまらないと、人は外の空間に何かもっと良いものがあると、そう思ってしまうのよね。

 

それで、セミナーに行ったり、講演会に行ったりするのだけども

 

そこもまた、つまらなく感じると、結局、また別の空間を求めて彷徨いがち。

 

自分のいる空間がつまらないから、逃避していると、その逃避先の空間もつまらないわけですね。

 

逃避だからだよ。

 

逆なんだって。

 

自分のいる空間がおもしくしたら、別の空間に行っても、面白くなる。

 

これは、一粒で二度美味しい(笑)。

 

でも、現実は、理想通りにいかない。むしろ、理想を追うと、苦しくなる。

 

頭で考えていることは、空想であり、のぞみだから。

 

よくあるのが、相手のためを思って、色々としてあげても

 

相手からは感謝もされず、たった一つのことを武器にして、全部をひっくり返す人もいる。

 

それで、色々と考えたのよ。

 

理想が強いと、現実がつらくて、だから文句ばかり言う人になるのかなって。

 

現実がつらく感じる人ほど、理想派になるのかなと思ったのね。

 

***

 

それで、ここからが本題で、説明が難しい部分となります。

 

筆者は、30歳くらいの頃に、あることに気づいたのです。

 

子供の頃から無意識でやっていたことを、意識したという感じかな。

 

 

現実生活の中で、その頃は空想をよくしていたんです。

 

その空想をすると、楽しいし、自分が力を得るわけです。

 

例えば本を書いて、ベストセラーになったと妄想したら、すごく嬉しいし、自分に力が湧きますよね(笑)

 

でも、パッと見えたのです。

 

あ、これって自分が空想に逃げているって(笑)

 

これをやっていたら、現実と乖離するなと、わかったのよ。

 

気持ちいいところに自分が入り込んでしまうからさ。

 

そうなると、実際の現実が逆に苦しくなるなと、わかったのよね。

 

空間がわかれるから。

 

自分が理想の空間にいると、それは気持ちがいいけれども

 

現実の空間とは違うから、そこで分かれてしまうから

 

そうなると、現実にいると自分が空虚になるのです。

 

そうなると、もっと空想の空間に入り浸るようになる。

 

こうやって、現実逃避すると、大変なことになる。

 

だから、現実に自分がいるようにしなければならないと

 

気づいたのですよ。30歳の頃に。

 

まだ色々とやりたい、一番欲があった時期だから。

 

その時にはっきりと気づいたのです。

 

それから、現実にいる自分をどうやって安定させていくか

 

これはヒーリングテクノロジーの世界に入って行ったのよ。

 

チャクラとかを科学的に徹底してやって行った。

 

自分のエネルギーを広げて行ったら、空間にいる自分も安定した。

 

全然、理想に逃げなくなった(笑)

 

これを地に足をつけている状態というんだけど

 

みんな技術的にはできていないから、迷うのだよ。

 

 

***

 

筆者は、自分の願いや、わりと叶いやすかったから

 

海外移住もしたし、恋愛も、仕事も、満足していたし

 

辛いことだけでなく、楽しいことたくさんあった。

 

でも、その度に色々と考えてきたんだけどさ。

 

例えば願いや望みを叶えるっていうのは、一瞬ですよ。

 

本当に一瞬。そしてその繰り返し。

 

筆者の場合は、すぐに飽きて見切った(笑)

 

それは本当の楽しみではない。

 

気の合う人と楽しむこと、それさえも、本当の楽しみではない。

 

命が助かった。

 

これは、本当の悦びである。

 

これに勝ることはない。

 

もし私が死んだら、悲しむ人は誰か。決まっている。

 

両親。特に母親。

 

私が死んだら悲しみで人生を失う人を、悲しませてはいけない。

 

でも、それ以外の人は、そんなに大事ではない(苦笑)

 

赤の他人、一生縁のない人は、自分の世界にはいない。

 

つまり、空間に一緒にいる人というのが、大事であって

 

サイバー空間は別物だと、わかってる。

 

ネットはもう終わっていると思う理由なんだよね。

 

私にとってのみんなというのは、自分と同じ空間にいる人のことを指している。

 

赤の他人は、人生には関係ない。

 

空間が別だから。

 

気にすることもない。

 

でも、これがわかっていない人が多いと思う。

 

自分の空間、自分の現実の空間にしかいれないのだから

 

それが人生ってやつ(笑)

 

理想に逃げるほど、現実空間が空虚となる。

 

現実は嫌なこと、苦しいこともあるけれども

 

その苦しみを注意深く観察することによって、答えが見えてくる

 

これは、決して逃げていない。

 

でも、痛みとは、子供時代に起こるもので、無意識に追いやっているから

 

痛みを無意識に感じないようにすると、現実の一部が凍結する。

 

痛みを流して、自分のエネルギーを再構築すると、自分は拡大する

 

そして自分のエネルギーは安定すればするほど、現実は広くなる。

 

この部分はまたもっと専門的な内容になってくるのだけども

 

今のスピリチュアルで、これができる人はいないから

 

スピはおかしくなり続けたのよ。

 

でも、痛みを感じるということを無意識にしなくなるだけでも

 

自分の感情や痛みやくるしみの部分は、溶けていくのです

 

そしてその先のエネルギーは、より心地よい感覚に包まれるよ

 

その時に、あ、自分が無意識に望んでいたのは、このことだったと

 

無意識が意識化する時がくる。

 

そしてらもっと、生きること、存在自体の希望が増えていくよ。

 

他人に依存する必要がなくなる。

 

 

で、筆者は、このことを、ひたすら15年くらいやっていて

 

エネルギーがどんどん拡大して行っているわけです

 

だから、現実が楽しいのよね。

 

理想に逃げなくてもいい(笑)

 

大きな夢を抱いて、人から承認を得ることも思ってないし(笑)

 

承認が得られるとも思ってないし(ここが大事)

 

まだまだ成長の可能性があることもわかっている。

 

 

 

自分がもしスピリチュアルをやり続けていたら

 

こっちを伝えて行ったかもしれないけれども

 

それはもう、今の時代には必要ないとも思う。

 

 

ちょっと一般化するには、難しすぎるからね。

 

本が一冊かけるというのは、そこの話。

 

ただ、ニュアンスだけは伝わったかな?

 

 

空想というのは、しばしば逃避であるということ。

 

そしてそれにはまると、人間は、現実にいづらくなり

 

嫌なことからますます目を背けがちになる。

 

嫌なこととは、痛みを感じること。

 

無意識に避けている、痛みを発見して

 

それを感じる方向に意識を向けていくと

 

そこから自分の失われた感覚が再構築されて

 

 

自分のエネルギーは成長するってこと。

 

そしたら、エネルギーが変わるので、存在も変わる。

 

 

まだ現代社会では、このことがわかっているのだけど

 

わかり切れていない。

 

なぜなら無意識のフィールドだから(笑)

 

 

多くの人たちは、痛みを感じないようにして

 

空想の世界の住人になっているということさ

 

 

でも、それでは空間が別々になっているので

 

全能感がないのよね。

 

 

空想は狭すぎて、取り残されるような感じがする。

 

空虚さ、寂しさがある。

 

 

それでは満たされないよと言いたい。

 

 

ちょっと長くなったけれども、思い切って書いてみました。

 

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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