手伝うことで得られる社会との一体感。

コンタクトマンのミツシュウラです

 

最近頭で思いついたことを記事にします

 

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(正確に思い出せないのだけど)昔の人が読んだ詩歌の中には、都から遠くに住んで取り残される気持ちを込めた内容があったように思います。

筆者は地方都市で生まれましたが、生後八ヶ月で東京に移住し小学校に上がるまで下町で育ちました。子供の頃に九州と東京で生活したため、都会と田舎の生活を経験したわけです。

田舎に住む人たちは都会に憧れ、東京などで活躍する人たちに対して、羨望する気持ちを持っていると思います。

その気持ちがあるからこそ、地方に住む人たちも都会で流行っているものを取り入れて、活力を得ようとするわけです。

 

都という世間から離れるということは、人にとって、取り残されたような寂しい、さびれた感覚を生じさせます。これは古代でも現代でも同じ感情であり、人間が社会的な動物であるということを、示しているように思います。

 

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日本では昔から、村八分になった人でも、火事とお葬式だけは手伝うという決まりがあったと言います。この2つは、社会生活を営む上で、必要不可欠なことだからだと思います。

 

例えばお葬式の場合、隣近所の人たちが集まって、葬儀を手助けて、故人を見送るわけです。人が助け合って大事な儀式を行うわけですから、必ず参加することが求められます。

 

筆者の田舎でも、葬儀の場合は隣近所の人たちが集まって、役割を分担しながらとり行いますが、その場合大勢の参列者も加わるので、大きなイベントとなります。

 

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ここからが本題です。

 

お葬式を例にしたのは、社会生活においてなくてはならない大事な集まりだからです。用事があったからいけなかったという口実は通用しないのであります。

 

風習や慣習を簡素化し尽くした現代人にとって、そんな場面は滅多にあるわけではありません。

 

しかし、葬儀に集まる時にも、葬儀を手伝う人と、参列者として集まる人と、2つの役割があります。二つの立場によって、人の意識も変わるなと思ったんですよ。

 

例えば、葬式を黙々と手伝う人というのは、喋ったり、集まりを楽しんだり、目立ったりするわけでもないのだけれども、手伝うことで、一体感を感じているなと。

 

地域のゴミ拾いの場合、黙々と作業をして帰っていくだけなのだけれども、一緒に作業している人たちとの連帯感があり、しゃべらなくても一員となります。

 

一方で、お葬式に参列者として参加した場合、これも儀式を行う上での一つの役割であるわけですが、自分の身の置き場をどうしたらいいのか、戸惑う感情があります。

 

お葬式に限らず、知らない人が集まる場になったら、自分がどう振る舞ったらいいかどうしていいのかわからない感覚が生じます。

 

人によって対処はまちまちですが、例えば始終無言でいるとか、存在感を消すとか(笑)、正解な受け答えをするとか、しゃべりで空気を和らげるとか、いろんなやり方があるわけですよ。

 

これらは全て、知らない人たちの間で、どうやって振舞ったらいいのかという、身の振り方であり、人との距離において、打ち解けるかという能力が低いと、疎外感を感じるので、苦しくなるわけです。

 

だから、ただのゲストであれば、そこにいる全員との一体感を感じるどころの騒ぎではありません(笑)

 

むしろ、早く立ち去りたいとか、もうちょっと話したいとか、あの人がどうで、この人がどうだったとか、他人の動向に意識が向いたりして、常に個人の視点に意識が向けられます。

 

同じ場所にいるのに、手伝う人と、参加者との差の違いがあって、こんなにも意識が変わるのかと思ったんです。

 

そして、人間が社会的動物であると前述しましたが、自分が社会の中の一員だという気持ちが埋まるのは、行事を参加する側も少しは感じるものの、手伝う側にいるとより強くなると思いました。(内容や程度にもよりますが)

 

例えば、お葬式の食事を準備したりして、忙しくしていると、余計なことを考えず、邪念も浮かばず(笑)、終わったらホッとして、みんなで笑顔で帰ってきますよ。

 

あるいは田舎の盆正月で親戚を迎える場合も、あれこれと手伝いをしていたら、自然にみんなと顔を合わせて接したりするので、楽しかったりします。だから田舎ではみんなが集まるわけです。

 

でも、参加者として、飲食ばかりして、話ばかりしていると、夢中になりすぎて一人だけ話しすぎたり、口をすべらして嫌な思いをさせたりして、トラブルも出たりして。

人が集まる場所では、自分をどう表現するのか問題があって、バランスを欠くと、場が白けたり、雰囲気が悪くなったりするわけです。

 

うまく話ができないと苦しいし、注目を集めることが得意な人がいたら、意識を独占されたりして、面白くなかったというのが出てくるわけですね(笑)

つまり、注目の奪い合いがあるわけですよ。

 

わかっている人は、注目の奪い合いに参加せず、黙々と働いていたりしますし、せっせとみんなのために働いている人がいると、場の雰囲気もいいものにガラッと変わります。

 

なぜならみんなのためにという愛情と奉仕の心が、黙っていても伝わるから。

反対に、注目を奪うことに躍起になっている人がいると、そこに入ろうとする人も出てくるので、場がちょっと変になって、引く人も出てくるのよね(笑)

 

だから、人が集まる場を作るのは、昔からなかなか難しいのです。

 

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意識の違いってあるんだなと、ふっと思いました。

 

黙々と手伝っている側は、みんなと一緒に仕事をしているという、全体の一部という感覚であるのに対して。

 

参加するだけだと、自分の立ち振る舞いに意識がどうしても向いてしまうので、注目を集める方に意識が向かうと、どうしてもバランスが崩れます。

 

度を越すと、大勢の中で、自分をうまく表現することにばかり意識が向くわけですが(笑)

 

そもそもただ黙って手伝っているだけで、しゃべらなくても、一体感が感じられるわけですよ。

 

大勢の中で一緒に作業をしているだけで、人の意識は変わるのです。そして社会的動物としての、社会的な部分が自然に満たされるのです。

 

 

 

昔、メダカを飼っていた時に記事を書いたんですけども

 

メダカは、水槽でほっといたら、ケンカして、弱いのは死んでしまうのです。

 

でも、水を流すと、一体になって、列を組んで、泳ぐのです。

 

では人間にとって、水を流すことってなんだろうと思ったんですが。

 

やっぱり、みんなのために必要な作業を、みんなでやることなんじゃないかって。

 

この記事を書きながら、気づいたんです。

 

 

みんなで一緒に作業をしていたら、自分をどう表現するかなんて、悩まなくてもいいのよ。黙っていたって。その方が自然体で、ありのままでいいわけです。

 

 

都から離れて自分が落ちぶれたとか、社会から離れてたった一人とか、人間の持つ集合体としての切ない孤独を感じずに住むのかもしれないなと。

 

 

例えば子供が登校拒否になったり、鬱で会社に行けなくなったり、年取って誰とも話す機会が減ってしまったとか。孤独で悩む機会は、色々とあります。

 

そんな場合も、みんなの仕事を手伝うと、寂しさを感じないですむのではないかなと、ふと思いました。

 

都会に住む人よりも、田舎の人たちの方が、元気で生き生きしているのは、やっぱり地域の住人とのつながりが強いからだ。社会の一員としての一体感があるからだ。

 

そうすると、宇宙の世界の人たちが、みんな一体となって、人の手伝いをするというのも、意味がわかったわ。

 

みんなで同じく作業をすることで、みんなとの一体感を感じているから。

 

だから調和が保たれて、平和なんだろうと思う

 

 

 

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人が集まって、しゃべりに夢中になって、いっ時は楽しいけれども、問題が起こりやすい。

 

注目を集めたい人がいると、目的からずれやすい。

黙々と働いている人がいると、そうはならない。

 

何もしないで、ただしゃべっているだけの人が集まると、脱線しやすい。

 

面白いよね。

 

あるあるだ。

 

 

筆者は農作業を長年手伝っているので、よくわかるのです。

 

農作業は一日で終わらないといけないものだから、終わらないと中断できないから、みんな必死にやるのよ。でも終わった後の達成感と一体感もすごい。悩みないのよ。

 

だらだらと働いている人は、農作業をしているとわかる。しゃべってばかりで手が動いていないから、作業が進まない。こういう人もたまにいる。

 

でも、加わるだけで、すごい作業が進むという人もいる。意識の違いなんだね。

 

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筆者も、ずっと宇宙の仕事をしてきたけど、仲間のコンタクトマンたち、宇宙の人たち、参加者たち、みんなと一体となっているという感覚があるんだよね。

 

自分が宇宙の仲間という意識は、みんなと一緒に働いているから、あるんだよね。

 

みんなとは、コンタクトマンたちと、宇宙の人たち。

 

みんなとの一体感がある。

 

講演会やイベントに参加する人たちでも、手伝っていくうちに一体感が生まれている。毎回何かあるたびに、顔を浮かぶと、その人が助けてくれたりする(笑)

 

一体感って、宇宙世界の入り口であり、参加するだけでは芽生えにくいものかもしれない。

 

参加する人の中には、グループができて、おしゃべりに夢中で脱線して、消えていくパターンもある。(今はないけど)

 

他人の話ばかりを集めるってのは、結局はポジショントークであり、立ち振る舞いなわけですよ。普段から社会との一体感が感じられない人は、そうなりやすいわけです。

 

ドラマって面白いけど、人はそれにはまると、大事な目的を見失うのよ。

 

手伝う人になると、役割が生じるから、意識も変わり、一員としての一体感も強くなると思います。

 

役割分担って、メダカの水槽の(水の流れ)でもある(笑)

 

役割を与えたら、自然に整列して、みんなで生き生きと水槽を泳ぐのよ。

 

水の流れがなかったら、弱いものが淘汰され、強いメダカが残るだけ。

 

 

社会の一体感と感じる者と、強者になろうと立ち振る舞う者。

 

安心感を感じる人と、孤独感を強める人。

 

 

意識において、大きな違いがあるのではないかな。

 

 

 

筆者はずっと農作業とか、何かの手伝いとか、子供の頃から、手伝うことをずっとやってきたからさ。それなりに一体感を持っていたんだろうと思います。ただそれが当たり前すぎて、無意識にやっていただけ。

 

誰でも、どんな小さなことでも、役割や手伝いをしていたら、一員としての意識があると思います。

 

それが広がって、いつか宇宙の人たちの一体感を持つ人たちが増えればいいなと思いました。

 

 

ちょっと話が長くなったんだけど、大事な発見だったと思うので、書きました。

 

宇宙世界は今日も平和です

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

 

 

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