前頭葉のひらめきと側頭葉のひらめきの違い

前頭葉のひらめきと側頭葉のひらめきの違い

コンタクトマンのミツシュウラです

 

前頭葉からのひらめきと、側頭葉からのひらめきの違い。

この違いは明確で、前頭葉のひらめきは現実になりますが、側頭葉のひらめきは妄想であり、現実化しません。

 

先日も頭に浮かんだので、その場所に行ったら、浮かんだとおりのことが起きました。そん時も思いました。やっぱり正しかった、それが現実になったと。

だから勘のいい人なんかは、結構ひんぱんに、潜在意識のひらめきが来ていると思います。

 

しかし側頭葉のひらめきを、あたかも直感でそれは正しい!と信じ込む人も大勢います。そしてそれに他人を巻き込んだり、振り回す人なんかもいます。

 

ポールシフトが起こるとか、麻は世界を救うとか、アセンションするとか、もうすぐ宇宙人が降りて来ますとか(笑)、いろんなガセ情報が世に出ましたけどね(苦笑)

でもそれを信じた人たちもまた、妄想が正しいと思い込んだわけで、思い込んだらブレーキがかからず行動するのですから、自分を客観的に見ることができないタイプの人たちなんだろうと思います。

いよいよ時代がやって来た!目覚めよ! 

なんてキャッチフレーズを使う人がいたら、踊らされないように、気をつけた方がいいと思います。(笑)妄想による扇動が入っていますからね。

 


 

岡先生の話では、仏教用語の中に、天道の上が存在するのだそうです。

 

天道も悪道に落ちる場合があるので、天道までは輪廻転生するのだと。

 

しかし天道から上の世界は悟っているので、輪廻もしないのだそうです。

 

日蓮さんの本の中には、四悪道の人は感情や欲望などが、気性激しく、波がある人たちのこと。天道というのは心の喜び。人道は平であること(感情や欲が少なくて安定している人のこと)

 

天道から上というのは、(声聞・縁覚・菩薩・仏)の4つの意識の状態。

 

声聞とは、声を聞いて悟る

縁覚とは、縁によって悟る

菩薩と仏は、自分だけの悟りを目指すのではなく、他をも悟りに導くこと

 

筆者はこの説明を読んで、なるほど、惑星連合(天)から与えられたスペースカードとは、このことだなとふに落ちましたね。

カードを作成すると人の意識は安定するのですけど、カードを手放すと、途端に感情が高ぶったり、落ち込んだりということがあるのですよ。それでまたカードを作成して欲しいと言って、頼んでくる人たちもいますから。

みんながみんなそうではないのだけど、中にはいるのです。荒波に入る人が。

そもそもスペースカードの文言の中に、人の意識はめまぐるしく変わるということが書かれており、スペースカードを見つめると、意識が安定し気持ちが落ち着くことが書かれています。

 

これって結局はエネルギーの導きによって、天道以下の人たちが、ひらめきを得られたり、安全に導かれたりして、前頭葉のひらめきという悟り(予知)を得ることができるようになるということなんだろうと思いました。

 

それで、自分だけでなく、多くの人たちを悟りに導こうとするというのは、まさしくコンタクトマンの方達の意識にあたります。自分という我を無くして、自他を境界を超えて、みんなが一体となっている世界というのが、惑星連合(天)の世界ですから。慈悲の心があるから、他者を思う心があるのです。

だから、菩薩や仏の世界に入ると、気持ちが安定し、心が清まり、穏やか意識に定まるのですね。そして前頭葉からの悟り(ひらめき)が入りやすくなります。

人のためを思って行為をすると、天の世界につながり、直感で助けが来るようになります。それが自然の摂理であり、宇宙の法則だと思います。


 

多分、こういう宗教的な話を書くと、窮屈な気持ちになる人もいると思います。

なんだか聖者や出家したお坊さんみたいに、煩悩を断って、聖人君子みたいに振る舞わなければならないような。(笑)

 

でもそんなことではなくて、ただ日常生活の中で、他人とのちょっとしたことにおいて、相手の立場に立って考えるとか、気持ちを汲むとか、想像して行動するというだけで、気持ちはすぐに慈悲の心、思いやりの心につながるのです。

なぜなら人間誰しもそんな想いは持って生まれているいるからです。(遺伝的にそうでない人も中にはいるけれども)

単なる心がけ、気持ちの制御をするだけでも、だいぶ違います。自分の心からエネルギーが生じることで、自分が穏やかで気持ちが良くなります。

岡潔先生は、本の中に詳しくそのことを書いています。ずっとどろ沼の中にいるわけではないことを。どうやったら心を安定させることができるかを詳しく書いていますから。

 

人道にいることができないと、心の悦び得られないので、刹那的な刺激を悦びととるそうです。

 

それは悦びに似ているのだけど、あくまでも刹那的な内容だから、刺激をどんどん強くしないと、自分の思った通りの心の満足が得られないそうです。それを繰り返すうちに、破綻に導かれていくと。

どんどん派手になっていって、どんどん目立って、どんどん大騒ぎをする人たちって、こっち系の人なのかもしれません。しかも集団に働きかけるのですよ。

 

縁覚というのは、自分の生活の中で、いろんな気づきを得て、そこでひらめいて悟って、道理や分別がわかってくることなので、他者を諭さなくなるのです。

 

自分でひらめきを得ることが、そのものが、心の悦びだからです。

だから、人も勝手にそうなるのがわかるから、他者にむやみに教えようとしないのです。

 

これは前にも記事にしたのですが、イチロー選手に例えると、彼は野球を通じて深い直感やひらめきを得ることに没頭しているので、他者が見えていないと思います。現役で研ぎ澄ませている人というのは、その世界に入り込んでいるので、そこが悦びであり、その状態の意識だと、他者は視界から消えるので、人に一緒に野球をしようよ! なんてノリにならないと思います(笑)

 

感覚の浅い人ほど、側頭葉のひらめきを得たら、妄想が入り、より外の世界に目を向けるのです。だから妄智の場合は、さもわかったと思い込み、他人も知らないと思い込み、押し付けて来るのです。こうした方がいいよとかという言葉は、自分がわかっているけれども相手はわかっていないという意識の時に発する言葉だから。

深く自分で知ろうとしている人は、他にも道理がわかっている人のことに気付けるので、人のすごさに目がいくのです。

 

例えば筆者は、大昔の人たちが、これほどのことをわかっていたんだと、深く感動しながら、この文章を書いています。現代人にもわかりやすく通じる真理だと思うから。

 

自分もコリンさんと出会って8年目で、この内容にようやく気づいて文書にできるほど、少しは物がわかってきたんだなと思っています。書いていることが自分もひらめきでわかるから。

 

もっと言えば、宇宙(天)の世界のことは、天道以上の人に対してでなければ、理解が難しいだろうなとも思います。その人の心の状態が反映されるからです。

例えば嫉妬とか、憎しみとか、猜疑心とか、怒りとか、欲望とか、さまざまな悪いものが心に入ってしまうと、清らなか(天の心)から外れてしまいます。

そんな心の状態の人に、天の話をしたところで、嫉妬から嘘だと思い、欲望から利用しようと思い、自分の方が知っていると言われるのが筋です(笑)

でも、昔の偉い人たちの言葉を借りたら、少しはわかりやすくなるかなと思って、書いています。そして日本にはかくも天に通じている人たちがいたのかと、意識の高さに驚くばかりです。

 

お天道を見ていたら、心は清まり、澄み切った心に還ることができるのではないかな? そこが心のふるさとですから。

 

 

宇宙世界は今日も平和です

 

ミツシュウラでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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