前頭葉での決断とは
コンタクトマンのミツシュウラです
岡先生が本の中で、前頭葉を鍛えるために必要なのは、自分で決めて、意志を用いて実行するということだと書いていました。
前の記事にも書きましたけど、前頭葉は(感情、意欲、創造)を司っているため、数学者の岡先生は自分の例を用いてわかりやすく例えていました。
自分で決めた数学という世界を、意志の力を使って、すべての集中を向け続けたこと。
これはすなわち、自分で決めたこと(数学)を、意志の力で実行するということ、そのものなんだろうと思います。
自分で決めるというのは、自分の判断でそれを選ぶということ、そして集中するためには、他のことを捨てることでもあります。
岡先生の場合は、四六時中、布団の中でも数学のことを考え続けていたのだそうです。
何年も、何十年もです。思いつきではできません(笑)
これはとてもシンプルなのですが、誰でも経験あると思うのですが、多くの人たちは自分で決めたことを、途中で挫折したり、飽きたという理由で投げ出すことも多いように思います。
あるいは迷いながら進むあまりに、色んなことに手を出しすぎて、どれに集中すればいいのか迷う場合もあります。
多くの人たちが迷いの状態にあるために、店頭には必要以上に多くの品が並び迷いながら生活するのが、側頭葉に傾いてしまった現代人の別の側面なのかもしれません。
先日ネットニュースで面白いトピックが出ていました。テレビで人気のカリスマホストが、なぜホストの世界に入ったかとの問いに、答えていたのを見て、前頭葉あるあるだなと思いました(笑)。
その方は大学に入った日に、自分の未来が見えてしまい、その未来に不安を感じて、その日のうちに大学を辞めて、ホストに転職したのだそうです。
これを見て思いました。ああ、この方は未来を予知していたんだろうなと。先が見える人だから、前頭葉がひらめくために、おそらくはずば抜けた力を出せたのです。
つまり、カリスマホストさんは未来が見えたことにより、社会での出世コースを下りて、別の道に入ったのです。これは結局は、前頭葉のひらめきが起こり、瞬間に体が動いて迷いなく行動をしたということ。運命的なものだろなと思いました。
筆者も過去に似たような経験(自分の未来が見えた)がなんどもあります。
日本の会社に勤めていた時、中国で仕事をしていた時、アメリカに移住するか迷った時、などなどです。未来が見えたときに、そのまま辞める決断をしました。これもおそらく運命だったのです。
このままここに留まっていたら、ずっと同じ状態の自分で、それ以上の成長の姿が見えないと思ったときに、迷わずに辞める決断をしたことが多かったです。幸い、決断した後トントン拍子にうまく行ったので、やはり運命で決まっていたんだろうと思います。
これって結局は、前頭葉のひらめきってやつなんだろうと思います。見えることにより決断できるわけだから。でも先が見えないことも、人生にはあるのかもしれません。そうなるとなかなか決断ができなくなるわけですね。
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筆者は以前、催眠療法をやっていたのですけども、その催眠療法をやると決めた時は、前にやっていた色んなことを全て捨てて一つに絞りました。
宇宙のことをやると決めた時は、催眠療法をやめて、やはり一つに絞りました。その決断も迷いなく、瞬時で早かったです。
なぜそうするかというと、自分は集中するタイプなので、二つ同時にができないからです。単純な理由からなのです。一つに絞った方が、集中しやすいし、深く深く、とことん学ぶことができますから。
これは集中を深めるために取捨選択をしてきたわけなんですけども、これは前頭葉の働きによるものだったと思います。
前頭葉の判断とは、自分で選んで決めること、決めたことを意志の力で実行すること
迷いなくすぱっと選び、あとは前だけを見てひたすら没頭すること
岡先生は本の中で、(前頭葉が発達している人は)ピリッというか、緊張感を持っているという表現をしていました。これは筆者もよく人に言われますが、このタイプの人はおそらく、ダラダラするのが無理で、ピリッとして集中していなければ、よどんだ感じがするのだと思います。
(抜く時は完全に抜きますけどね:笑)
岡先生はよく仏教の言葉を用いて説明しています。仏教は意識と心について解説しているのを発見されたからなんだそうです。概要だけ書いて見ます。
(二善道)天道・人道 → 前頭葉(智光による判断)
(四悪道)修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道 →側頭葉(衝動的判断)
ざっくりと書きましたけども、こんな感じでまとめてみました。これってわかりやすいと思いました。
側頭葉というのは、動物と同じなので、ざっくりいうと、慈悲心(天智)がないことが特徴です。
側頭葉の衝動で判断したり、行動すると、天の道から外れ、悪の道に行きます(冷汗)
例えばカッとなって、怒りで我を忘れて、他人を攻撃するというのは、前頭葉の自制心が働かず、側頭葉の判断による行動をとっていることになり、これは仏教でいうところの修羅道にあたるということ。
最近は子供を殺してしまう人が結構いますけど、彼らは前頭葉の自制心がきかず、慈悲の心がないので、動物的な衝動で動いているということになります。
男性が女性を襲ったりするニュースも本当に多いですけども、これも欲望が制御できていないことを示しています。
つまり、現代人の脳は、前頭葉の力が機能していないのですね。それが多くなってきているのが、ニュースに反映されているのではないでしょうか。
おそらくはお釈迦様の時代から、こういうひとたちがいたから、専門用語があるんだろうと思うのですが、現代でもピタリと当てはまってきているように思います。
それでも岡先生によると、明治時代まで日本人は心が清らかだったそうです。だから勤勉で他者を敬い、自制心があったからです。これは祖先がずっとそうだったから、まだ日本の土壌にもそれらが生きているのではないかというのが、岡先生の主張です。
正道に戻ろうとする働きがある限り、つまり天道・人道の道を歩もうとする人たちがいる限りは、未来の可能性はあるということだと思います。前頭葉を鍛える生き方をしたら、ひらめきの力は機能を取り戻すので、科学(人工知能)の力に負けない意識や精神を維持できるのではないでしょうか。
なんでも誰かに相談して答えを出さず、自分で考えて、決めるということ。これにはまずはじっくりと深く深く考える力が必要になります。
考えが浅いと、答えが得られないので周りが気になり、あっちこっちに触手を伸ばすと、結果的に迷いが多くなります。
今はなんでもネットで調べて、体験談をあてにして、自分の直感力よりも他人の意見を参考にします。
これを続けると、自分で考えたり、判断したり、決める力が育たないので、そうなると、次の分岐点において、人工知能の利便性に流されていくと思います。
筆者がなぜここまで前頭葉のことを書いているのか、その理由は岡潔先生の残した予言ともつながりがあります。
岡先生は、人間が脳をいじる時代が来たら、人類は滅亡するという予言を残しています。
岡先生が残された未来の予言とは、おそらく人工知能のことを指しており、それに対抗するには、前頭葉を開いてひらめきを得て、自らの努力で道を切り開き、自分の足で人生を歩くことなのです。

それこそが、ケモノの道ではなく、人の道、天の道に帰るということですね。
決断をするのは勇気がいることだけれども、決めたら迷わず突き進むことが重要で、集中し続けることで、悟りや気づきが起こります。
進んだ道に迷いがなくなったら、それは自分が正しい道を歩んでいるという確かな証なのではないかな。
それが本当の自分を生きる人生なのではないでしょうか。
宇宙世界は今日も平和です
ミツシュウラでした