時代をまたいで生きること

時代をまたいで生きること

コンタクトマンのミツシュウラです

今年で平成も終わります。

筆者は昭和生まれなので、次の元号生まれの世代から見たら、相当古い時代の人になるのだろうと思います。

筆者の祖母は明治生まれでしたので、(明治、大正、昭和、平成、新元号)と、5つの時代の影響を受けているのですね。結構時代をまたにかけているなと思います。

うちの(父方の)祖母は、大分県の竹田市で生まれ、先祖は岡城の藩士出身でした。西南戦争までは岡城にて(お殿様に)学問を教えていたらしいのですが、西南戦争の後に藩の排斥運動が盛んになり、士族から商売に転じて、竹細工で財を築いたらしいです。

大分県の別府が温泉地で全国的にも賑わっており、そこで質のいい竹細工が重宝されており、祖母の父親は全国に竹細工を売って、かなり豊かだったそうです。祖母が子供の時はお付きの人が数人いて、不自由なく暮らしていたとのこと。伝記に残されていました。

しかし長雨がきっかけで竹細工が(列車ごと全部)腐ってしまい、倒産を余儀なくされ、大分から宮崎の霧島に引っ越して相当苦労をしたようです。しかし元々が学士だったので、祖母の兄弟たちは頭が良く、戦前は出世したようでした。

祖母は明治生まれの士族の育ちだったので、着物をきちんと着こなし、髪を結い、家を清潔に保ち、家事をしっかりこなし、庭には花が咲き乱れ、礼儀作法にもかなりうるさい人でした。私は子供時代にかなり食事などの作法で怒られました。なんでも詳しくて、いつもあちこち連れて行ってくれて、色々と教えてくれたのを覚えています。

祖母の厳しいしつけの影響で、田舎育ちの私でも、なんとか生きてこられたのかもしれません。父方の実家は、戦後も貧しい農家でしたが学問を重んじる家だったので、大学まで出してくれました。

祖母は色んなことを知っていて、孫の私たちにも教えてくれたものです。あそこにはどんな植物が咲いていて、あそこには蛍がいて、あそこにはこんな食べ物があって。あれやこれや。祖母がまだ元気な時代、私が小学校に上がる前は、農薬を使わない時代だったので、自然は汚染されておらず、川には沢山の魚がいて、田んぼには沢山の生き物がおり、祖母が良く連れて行ってくれた場所には沢山の生き物がいました。

川に泳ぎに行く時も必ずついて来て、危ない場所を教えて見守ってくれました。近所の子供達と安全に見守られながら、遊んでいたことを思い出します。隣近所は顔見知りで良く出入りし田舎だからこそ(遠方からの人が来て)人との付き合いも盛んでした。

戦前戦後、貧しい農家になりながらも、全てを自給自足でまかなっており、お茶の季節になればお茶を釜で炒って堪能し、そばの季節になれば庭で脱穀して、そばを食べていました。一升瓶を持ってお酒を買いに行ったり、家で取れた大豆で作った手作りのみそで美味しい味噌汁を飲んで、裏の田んぼで取れた美味しいお米を食べていました。

畑からなんでも引っこ抜いて来て、食べさせてくれのたのを思い出します。山には柿やくりがなっており、しいたけと一緒に良く取りに行きました。懐かしい思い出です。

祖母は完全に明治の時代の女性でした。着物を自分で縫って、綺麗に着こなし、祖父と大の仲良しで、大勢の子供を育て上げました。厳しくもありましたが、逞しかったのを覚えています。そんな厳しい祖母の影響もあり、怒られてもへこたれず(笑)、人づきあいも嫌いではありません。

今の時代の人たちは、上司が嫌いで、会社勤めを社畜とののしり(笑)、好きなことのために仕事をやめて、クラウドファンディングでなりふり構わず周りに頼って生きています。身近な人たちよりもインフルエンサーに影響を受け、職場や隣近所とはつきあわず、ネット社会に入りびたり、自由で豊かに生きることを好みます。(もちろん全員ではないですし、大げさに言ってます)

筆者は祖母の生きた(明治の人たちの)生き方を、良く思い出します。時代と戦争に翻弄され、生きるために必至となり、たとえ豊かになっても、貧しくなってしまい、戦争で苦労して生きて来た人たち。自分だったどうなっていただろうかと、良く考えます。自分にあのたくましさはないなと。

今の時代の人たちを見て、自分の子供時代と比較して、やはり思うのです。

昔は良かったなと。

なぜならたくましい祖母たちが近くにいて、面倒を見てくれて、しつけてくれて、いろんなことを教えてくれたからです。そばにぴったりと寄り添って、知っていることの全てを教えてくれたからです。

コリンさんに、明治の人たちの方が、今の時代の人たちよりも、ずっと立派で良かったんですよね? と尋ねたら、そうだと返事がありました。

やはり、明治時代の日本人の方が、現代人よりも、人として立派だったのです。

少なくともそれがわかる人間でよかったと思ってます。(わからなければ、自分を律する意識が高まらないから)

この文章は表向きの文章ですが、当然、宇宙的な意味も含まれています。宇宙世界に行ったら、惑星に適応できる人の資質と関係しています。明治の人たちの生き方の方が、惑星の人たちの世界に近いのですね。

次の時代は、次の時代の人たちにバトンタッチをして、私自身はやみくもに新しい時代を追うのではなくて、これまでの人生経験をバネにして、しっかりと根をつけて、踏ん張りたいと思います。

時代はただの目先にしかすぎず、人の本質はどの時代であっても変わらないのだから。変わらない本質が(それだと)わかるのは、時代をまたいで生きる人間の経験と知恵からなんだろうと思います。

歳をとることは、決して悪いことではないわけさ。

宇宙世界は今日も平和です

ミツシュウラでした

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